◆鉄アナ・羽川英樹「行ってきました!」
11月23日で阪急大阪梅田駅が今の場所に移設・開業して50周年を迎えました。
「えっ、昔は違う場所にあったの?」と若い人たちは驚いたことでしょう。そうなんです! 半世紀前までの阪急梅田駅(※2019年10月1日に駅名を大阪梅田駅へ変更)は今の阪急うめだ本店(阪急百貨店)の南側正面あたりにあったのです。
万博景気に沸いた当時、阪急は7両編成を8両編成にする必要に迫られていました。しかし国鉄との立体交差が邪魔をして、当時のホームでは延伸ができず、止むを得ず400メートル北側に移転することになったのです。
そこで他社線との接続も遠くなったお詫びに、動く歩道「ムービングウォーク」を設置することになったのです。
京都本線は1930(昭和5)年に『天神橋』~『西院』間で産声をあげましたが、もともとは京阪電鉄の子会社である新京阪鉄道が、京阪本線のバイパスとして建設した路線でした。京阪本線はカーブが多くスピードが出せないので、淀川西岸に高速性がある路線を建設したのです。その後、戦時中の交通統制によって1943(昭和18)年に京阪神急行電鉄(現在の阪急)になったという経緯があります。
今回は『大阪梅田』から『京都河原町』行き準急に乗って、中間拠点である『高槻市』までをレポートします。
現在の『大阪梅田』は9線10面という私鉄最大のターミナルで、10分おきに3つの本線の優等列車が同時発車し、十三に向かう様は、全国でも珍しい光景となっています。
『中津』は宝塚本線と神戸本線には狭いホームがありますが、京都本線には見当たりません。3本線の中で最も遅く開通した京都本線にはホームを作る用地がなかったため、全列車が通過するのです。
そのあとすぐに新淀川橋梁を渡ります。左を走る宝塚本線・神戸本線は、鉄骨のジグザグの白い梁がある頑丈なトラス橋。一方、一段高い位置を走る京都本線はまともに風を受けるガーダー橋となり、ここでも他の2線よりあとで開業したことを物語っています。
『十三』で3複線は終了し、それぞれの方向に分かれていきます。そして『十三』からは、いま、新大阪となにわ筋線(未成線)への連絡線が計画されています。
『南方』は阪急は「みなみかた」と読みますが、接続する大阪メトロ御堂筋線の『西中島南方』はなぜか「みなみがた」と濁ります。
『淡路』は千里線と別れる京都線の一大ジャンクション。ちなみにこの駅は1号線が欠番となっています。現在行われている高架化工事が完成すれば、現在の狭いホームから巨大な4階建てとなり、2階が改札、3階・4階は方向別にフロアが分かれる予定です。