ここに挙げるのは一例であり、実際には多数建立されている。地震の様子を記載した碑や、犠牲になった人の氏名を刻んだ碑もあり、デザインもさまざま。
明治三陸地震や昭和三陸地震で建立されたこれらの石碑の教訓が、東日本大震災で十分に活かされたかどうかは、今後時間をかけて考察すべきだろう。
昭和三陸地震から78年も経っていたこともあり、時代背景や生活環境、土地整備のあり方が異なるため、一概に当てはまることは難しいが、家は高い所に建てること、との言い伝えを人々は忘れ、生活に便利な海の近くの平地に立てるようになった。
津波が来たら高い所に避難すべきなのだが、津波の経験が無いことから迅速な避難ができなかった人が多かった。しかし、鵜住居小学校と釜石東中学校の児童生徒は常に防災訓練をしていたため、約570人全員が助かった。当時「釜石の奇跡」と言われたが、決して奇跡ではない。常に訓練をしていたから助かったのである。
東京帝国大学教授(物理学)で随筆家だった寺田寅彦氏の「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉は大変有名である。わかっていても、情報のスピード感や、目まぐるしく変わる生活の中で薄らいでいるのも現実だと思う。
元日の能登半島地震では津波による被害が出た。太平洋側では昭和58年(1983年)5月26日に日本海中部地震で津波が発生し、104人の方々が犠牲になった。東日本大震災での津波の甚大な被害は記憶に新しい。
日本海側では他に平成5年(1993年)の北海道南西沖地震でも、津波で大きな被害が出た。
地震が発生すると短時間で津波がやってくる。こうした先人の警告を忘れないこと、そのためには普段から災害への高い意識を持つことが大切だ。モチベーションは、時間とともに薄らぐことも忘れてはならない。
1.17という慰霊の日に、「過去に学ぶ課題」と「未来へつなぐ課題」を改めて考えたい。