さまざまな「お金」を紹介、時代ごとの社会や経済のありように迫る企画展「古銭・古札を楽しむ―館蔵・寄託のコレクションから―」が兵庫県立歴史博物館(兵庫県姫路市)で開かれている。7月、20年ぶりに紙幣が刷新されるのを前に、子どもから大人まで楽しくお金の歴史を学べる貴重な機会となっている。2月18日(日)まで。
日本と中国のお金約600件を4部構成で公開。第1部では708年の「和同開珎銀銭」からスタートし、平安時代後期、中国との貿易の活発化とともにもたらされた中国銭、それをまねて作られた模鋳銭などを展示している。
とりわけ目を引くのは、江戸幕府が出した大判・小判。豊臣秀吉の時代から製造されていた大判は主に恩賞や贈答用だったといい、今なお金色に輝く。小判は、関ヶ原の合戦(1600年)の翌年に発行された「慶長小判」に始まり、1860年の「万延小判」まで、全10種のうち9種が発行順に紹介されている。時代とともに小さくなっていくのは、金含有率や重さを下げて差益を得る「出目(でめ)稼ぎ」が主な目的で、慶長小判と万延小判を比べると金含有量は8分の1まで少なくなっているという。
目玉の1つは、第2部「兵庫県域の近世古札」。藩や旗本、寺社、鉱山で発行された色とりどりの紙幣類が並ぶ。展示を担当した前田徹学芸員によると、近世のころの兵庫県域は、中小の大名領や旗本領、幕府直轄領が混在する地域だったため、多種多様な札が生まれたという。前田学芸員は「お札の信用力は、藩の財政状況などのほか、札に書かれた人名の信頼性にも影響された」とひもとく。
地域の木綿の専売制に合わせて出された姫路藩木綿切手(19世紀前半)のコーナーも。姫路藩家老、河合寸翁(かわい・すんのう)の発案で、領内では木綿の対価を藩札で支払い、江戸で販売した代金は藩庫に収めることによって、約70万両あった藩債を返済した驚きの財政再建エピソードも紹介されている。