パビリオンのデザイン性の高さに感動した別の女子学生は、「”万人にウケる”ものではなく、デザイナーたちが本当に作りたいと思えるものを製作した“自由な表現”を感じた」と話す。
50年あまりの年月を経て、当時の常識、習慣と今のそれとは異なるものもあるが、「形に縛られない、自由な発想のもとに成り立つのでは」という思いが「いのち輝く未来社会」を形づくるととらえた。
学生らの見学にゲスト講師として加わった神戸市立三宮図書館・西田博至館長は、「大阪万博で実際に使われたポスターの実物を、まとめて見ることができたのは貴重な機会。ポスターのメッセージはそのデザインとともに時代を表す。
これらのデザインを読み解き、時代の息吹に触れるには、やはり当時の資料をできるだけ多く、見たり読んだりすることが肝心だと思う。そのために図書館をぜひ使ってほしい。100年以上の歴史を持つ神戸市の図書館は、1970年の万博や当時を再発見するための貴重な資料がたくさん所蔵されている。多くの方に利用いただき、神戸を含めた未来の関西を考えるための手がかりにしてほしい」と話した。
学生たちをサポートする川田都樹子教授(文学部/美学・芸術学)は、ドキュメンタリー制作にあたり、ハードルの高さを挙げる。1970年当時の映像、写真、印刷物はもちろん、万博遺構とされる様々な建造物(太陽の塔や鉄鋼館、万博公園)などを撮影して、映画のワンカットに使うべく、あらゆるところに許可を求めながら製作を進めているが、著作権などクリアしなければいけない課題も多いという。
それでも諦めない。 「学生らのドキュメンタリー映画は、非常に少ない大学予算で、経済的に無理をしながらの制作という厳しさがある。しかし、学生らの気づきや探求心を目にすると、大変意義深い活動だと感じる」と語る。
川田教授はまた、「製作費不足が結果的に新しい発想を生み出すきっかけになることもある」と話す。
例えば、寺嶋真里監督が考えついた「マルチカメラ」という新たな手法がその発想だと指摘する。Z世代の出演学生たちは、当然のように日常的にスマートフォンで写真や動画を撮影してはSNSやLINEで「発信」しあっている。その彼らが、この映画ではカメラマンも兼ねる。それぞれのスマホで、それぞれの視点、それぞれのアングルで「今」の学びを映像化していき、それを監督が1本の映画の中に編み込んでいくのである。予算的にプロのカメラマンを使えるシーンが限られていたからこそ生まれた、おそらく映画史上初の試みではないかとみている。
「1970年大阪万博では、当時のテクノロジーの最先端が披露された。そこで数多く公表された映像は”マルチスクリーン”(複数の映写機をコンピューターで一括制御して同時放映するもの)であり、メディアの変容を示したように思える。それに対する学生たちによる”マルチカメラ”は、『ITテクノロジーの今』の象徴であり、未来社会のデザインをテーマとする2025年大阪・関西万博で公開する映画にふさわしい試みでもあるかと思う」と話す。
【甲南大学人間科学研究所_ART・公式X】
【アート・ドキュメンタリー映画「EXPO’70前衛の記憶~アコを探して」製作報告】