7~8世紀、天皇の宮殿があり、政治の中心地でもあった「難波宮(なにわのみや)」。同宮跡付近に建つ大阪歴史博物館(大阪市中央区)で、難波宮発掘開始70周年を記念した特別展「大化改新の地、難波宮 ―古代日本のターニングポイント―」が開かれている。日本史上、誰もが知る大きな政治改革「大化改新(たいかのかいしん)」に焦点を当て、その舞台ともなった難波宮の70年にわたる発掘調査の成果を紹介。出土品や関連する資料約100件で、謎に包まれた古代の都についてひもとく。8月26日(月)まで。
難波宮は天皇の住まいや政治、儀式の場などを、南北に計画的に配置。「日本書紀」に「その宮殿のありさま、ことごとくに諭(い)ふべからず(宮殿が立派な様子は言葉では言い表せない)」と記載されるほど隆盛を極めたが、1954(昭和29)年、考古学者の山根徳太郎(1889~1973年)が主導して始めた発掘調査までは、明確な所在地が特定されていなかった。
前期難波宮(652~686年)造営は、645年、中大兄皇子らが蘇我氏を倒して始まった大化改新を契機に遷都事業としてスタート。展示の目玉の1つは、その時期より前に作られた瓦「素弁八葉連華文軒丸瓦」(7世紀前期)で、593年創建の日本最古の官寺、四天王寺(大阪市天王寺区)の瓦と同じ笵(はん。軒瓦の型)であるのが確認されている。一方、前期難波宮の遺構からは、大規模な宮殿に見合った量の瓦が出土していないため、宮殿は板葺だったと推察されている。
鞍(くら)を付けた土馬(どば)や木製の人形(ひとがた)、斎串(いぐし)は7世紀中頃のもので、谷底に設けられた石組の水路跡から見つかった。谷底から湧く水を利用した祭祀の際に使われていたとみられる。そのほか日本最古の絵馬(22日まで原品公開、以降は写真パネル)や「戊申年(ぼしんねん)」(=648年)と記された木簡の複製品なども展示。後世の関連資料や伝承の紹介もあり、いにしえの都の生活について、豊かに想像をふくらますことができる。
展示を担当した安岡早穂学芸員は「(史跡として整備されている)奈良の平城宮跡などと違って、この地はビルが建ち並び、かつて難波宮があったことがわかりづらいと思う。だが当時は、飛鳥や奈良にものを運ぶための中継地で、重要な外港都市でもあった。その背景に思いを巡らせながら、展示を楽しんでほしい」と話し、大澤研一館長は「『大化改新』は教科書に必ず出てくるキーワード。展示で、とくに子どもたちに難波宮についての知識を持ってもらい、将来、自分たちの言葉で発信してもらえたら」と期待を寄せた。