【橋本】 後から加入したメンバーだったんですね!
【中将】 はい。その後、バンドはイルカさんと神戸さんだけになり、やがて二人は結婚。イルカさんはソロデビューし、神戸さんはマネージャー兼プロデューサーとしてその活動を支えました。
【橋本】 素敵な関係ですね。お仕事でもプライベートでも一緒!
【中将】 では、次が最後の曲になります。松山まさるさんで『新宿駅から』(1965)。
【橋本】 デビューからかなりお上手ですが……。
【中将】 これは、五木ひろしさんのデビュー曲でした。若干17歳の時の作品なのに、もうある程度スタイルができあがっている気がしますね。母子家庭の末っ子として貧しい少年時代を過ごした五木さんですが、中学卒業後に京都の音楽学校を経て状況。作曲家の上原げんとさんの内弟子になってデビューを目指されたそうです。実は同期の内弟子に松方弘樹さんがいたそうですが、五木さんの歌が上手すぎたのであきらめて俳優の道に進んだというエピソードがあります。
【橋本】 すごいお二人が並んでたんですね(笑)。同期がすごすぎてあきらめてしまうというのも芸能あるあるですね……。
【中将】 期待の中でデビューされた五木さんですが、残念なことに直後に上原さんが急死。なかなか芽が出ず、その後「一条英一」、「三谷謙」と改名、再デビューを続け、1970年にオーディション番組『全日本歌謡選手権』(読売テレビ)で優勝したことがきっかけで、ようやく現在の五木ひろしという芸名で再デビューすることになりました。実は五木ひろしとしてのデビューシングルを出す前に、一度だけ、作詞家の山口洋子さんが命名した「ナカガワジュン」という名前でもステージに立っています。なので、「五木ひろし」は5回目の芸名ということに。
【橋本】 なるほど……何度も出てこれるのはすごいけど、ご苦労されていたんですね。今回はいろんな方の意外なエピソードを聞かせていただきましたが、改名して成功している方が多いことにびっくりしました。
【中将】 昭和世代の、一度ダメでもあきらめない執念のようなものが、改名につながっているのかもしれないですね。