9月6日に逝去した、歌手でタレントの黒沢博さん。ヒロシ&キーボー『3年目の浮気』の大ヒットで一発屋と思われがちですが、実際は人気グループサウンズ出身の才気あふれるミュージシャンでした。
このたび、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が、ラジオ番組のなかで、黒沢博さんの魅力と波瀾万丈な音楽人生をたどりました。
※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2024年9月20日放送回より
【中将タカノリ(以下「中将」)】 2024年9月6日、ヒロシ&キーボーの黒沢博さんが亡くなりました。あまりにも有名なヒット曲『3年目の浮気』を世に放ったことで一発屋として見られがちですが、実際はどんな方だったのか? 起伏に満ちた75年の生涯を紹介したいと思います。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 そうですね。『3年目の浮気』は有名で、この番組でも何回か紹介していますが、私も黒沢さんがどんな方までは知りませんでした。
【中将】 博さんは、1948(昭和23)年に横浜市で生まれました。4人兄弟の三男で、長兄は歌手・俳優の黒沢年雄さんです。12歳のときにお母さんを亡くし、苦労されたそうです。
博さんはエルヴィス・プレスリーの影響でロック好きになり、エレキバンドでバンド活動をスタート。加山雄三さんの映画『エレキの若大将』(1965)に出演した年雄さんが、当時“エレキの神様”と呼ばれた寺内タケシさんと知り合ったことから、1966(昭和41)年に寺内タケシとバニーズというグループサウンズのヴォーカリスト兼ギタリストにスカウトされデビューします。
【橋本】 お兄さんのご縁でデビューされていたんですね! 人のご縁っていろいろつながっていくものですね。
【中将】 そうですね。とはいえ、あの厳しい寺内さんに見込まれた、博さん。きっと何か持っておられたのだと思います。そのときの楽曲の一つが、寺内タケシとバニーズで『太陽野郎』(1967)。
【橋本】 まさにグループサウンズ! バニーズではどんな活躍をされたんでしょうか?
【中将】 シングルとしてはこの曲がオリコン・ウイークリーランキング16位で最大のヒットです。他にもアルバム『レッツゴー運命』(1967)が第9回日本レコード大賞編曲賞を受賞しています。
【橋本】 ベートーベンの『運命』をエレキアレンジしたやつですね! 以前の放送で聴いて覚えてます。
【中将】 そうそう。だから結構大きな爪跡を残しておられるんです。博さん個人もアイドル的な人気を博したそうです。ですが、グループサウンズブームは1960年代いっぱいで去ってしまい、バニーズも1971(昭和46)年に解散。その後、黒澤博さんは「藤堂博」や「くろさわ博」という名義で歌謡歌手、俳優として活動。『伝言板』(1976)というレコードもリリースしますが低迷してしまいます。
【橋本】 一度売れても、それを維持するのって大変なことですよね……。
【中将】 ですが、そこは博さん、持ってる人です。そんな頃、お兄さんの年雄さんのもとに作詞作曲家の佐々木勉さんから「ピッタリの曲ができたから歌ってくれる?」と新曲の打診があるんです。それが、あの『3年目の浮気』。年雄さんはまったく気に入らず断ってしまうのですが、代わりにオファーが博さんに舞い込み、ヒロシ&キーボー『3年目の浮気』(1982)として世に送り出されます。
【橋本】 誰もが知るスナックの定番デュエット! 「ヒロシ&キーボー」というユニットはどのように結成されたのでしょうか?
【中将】 この曲のためオーディションで選ばれた新人歌手・山田喜代子さんとのユニットです。いわゆる企画ものなんですが、『3年目の浮気』がオリコン1位、ミリオンセラーを記録した後も1984(昭和59)年まで活動し、4枚のシングルと2枚のアルバムを残しています。





