【北岡】 今は呼び方が違うらしいんだけど、当時は芸能コースというくくりで、タレント活動をしている子たちが集まっていました。芸能コースの生徒は朝、1年から3年まで全員一つの教室に集められてホームルームみたいなことをして、それが終わってから一般の学級に混ざって授業を受けるんです。
【橋本】 へぇ~! そんなスタイルだったんですね。
【中将】 今でも集まったりするんですか?
【北岡】 何人かとはランチに行ったりしますよ。最近はインスタグラムとかがあるから、そこで数十年ぶりに声をかけあって再会というのもありますね。
【中将】 当時の堀越ってすごい人たちが通ってたし、文化も独特っぽくて興味津々です。
さて、楽曲の紹介に戻りましょう。『恋心』の次のシングルは1989年2月の『夢をあげよう』。こちらもオリコン28位を記録。アイドルとして順調に展開する中で、追っかけのファンの大勢いらっしゃったようで、YouTubeでは彼らが撮影した映像がいくつかアップされています。
なかでも面白かったのが、1989年9月16日に夢子さんが万世橋警察署(東京都千代田区)の一日署長に就任した時のもの。警察署前からパレード車で秋葉原駅前まで移動して特設ステージでライブを披露するという非常にアイドルらしいイベントだったようです。
【北岡】 非常に名誉なお仕事だと思ったので、これは印象に残ってますね。
【橋本】 一日署長ってどんなことをするんですか?
【北岡】 私の時は、はじめに賞状のようなものをもらって、みなさんに交通安全の大切さを訴えかけさせていただきました。そんなに大層なことをしたわけじゃないんですが(笑)。あとは、さっきおっしゃったように、パレードとライブですよね。
【中将】 アイドルの王道的なお仕事ですが、当時ご両親は夢子さんの活動についてどう思われていたんでしょうか?
【北岡】 とっても応援してくれていました。親元から仕事に通っていたので、朝早いときも起こしてくれたり、いろいろと協力してくれましたね。
【中将】 菜津美ちゃんもお父さん、お母さんと仲良しですが、やっぱり女の子が芸能活動する上で家族の応援って大切ですよね。友だちや他の人に言えない悩みもあるでしょうし。
さて、お次に紹介するのは、アイドル時代最後のシングル『マイアミ午前5時』(1991)。松田聖子さんのカバーですよね。
【北岡】 私が出演する『歌謡夢図鑑』(テレビ東京)という番組のエンディングテーマで、スタッフさんから「何歌う?」って聞かれたので、大好きだったこの曲をリクエストしました。
【橋本】 憧れの聖子さんのカバーを選ばれたわけですね。
【中将】 今年復帰されるまで、この曲が最後のシングルになっていたわけですが、これが最後になるっていうのはわかっていたんですか?
【北岡】 そういう話があったのかはわからないけど、私自身は全然そんなこと思ってなかったですね(笑)。
【中将】 はからずも……という感じでしょうか(笑)。たしかに90年代に入ると”アイドル冬の時代”と言われて音楽シーンでアイドルがまったくウケない時代に突入しました。
【北岡】 音楽番組はどんどん終了するし、イベントも少なくなってきたなという実感がありました。
【中将】 それで女優業に転向されたのでしょうか?
【北岡】 転向という気は全然なかったんですよ。アイドルの間もドラマとかにはけっこう出ていたので、自然とお仕事が女優業に限られていったという感じですね。でも、やっぱり、もともと歌が歌いたくてこの世界に入ったので、途中でお休みすることにしました。
【中将】 そして今年ようやく『二人の季節』で復帰という流れですね。