阪神・淡路大震災の発生から30年となった2025年1月17日、神戸市中央区の神戸市役所南側にある東遊園地では、「阪神・淡路大震災1.17のつどい」が行われている。発災時刻の午前5時46分には会場で黙とうをして、震災で亡くなった人を追悼するとともに、節目を迎えたなかでもこの震災があったことを風化させないという思いを新たにしていた。そのなかで、追悼行事を初めて現地で迎えたという、震災後に生まれて1.17の記憶と教訓を学んできた若い世代が、今の思いを語った。
「この現地に足を踏み入れたことで、命の大切さであったり、現在進行形でこの出来事を思い続けられていたりすることをとても強く実感しました」というのは、西宮市の大学1年、榎本日菜(えのもと・ひな)さん(19)。
芦屋市の大学4年、張心藝(チョウ・シンイ)さん(22)は、「この寒いなかで、当時亡くなった方や被災された方のことを思うと、胸がいたむ思い」と述べるとともに、「ここに集まっている方は、震災を経験した方もいますし、私も含めて震災を経験していないけれど震災の経験にふれてみたいという方も多くいると思いますが、みんなで集まって祈りをささげる機会は、すごく意義があって、大切なものだなと感じています」と、この追悼行事の重みを痛感したよう。
「多くの人が『今日という日がどれだけ大切な日か』など、たくさんの思いを持って今日という一日を振り返る日だと思いますが、震災を知らない私でも、今日が一番震災を考える日であると思うので、今日ここに来れたことがすごくよかったことだと思います」という神戸市灘区の大学4年、加久(かく)ことみさん(22)。
震災当時、消防団で夜通し救助活動を続けた祖父がその過労が原因で亡くなり、その後に生まれた加久さんは祖父と会うことが叶わないなかで今に至る。「毎年、この時期はおじいちゃんのことを考えて、お墓参りもしているが、会いたかったなと思います」と率直な心境を明かしつつ、地域のために身体を張ってきた祖父に「『ありがとう』という思いです」と感謝を述べていた。
かつて大きな被害を受けた街は、30年という歳月のなかで復興を遂げてきた。その街で暮らす若者として意識する思いについて、3人は次のように話す。
榎本さんは、「私は今のキラキラした神戸の街や、私の住んでいる西宮市でしか過ごしたことがないので、想定できることは限られますが、この震災を受けて、災害・地震に敏感になりましたし、私自身が伝えられることもあると思います。ただ記録として災害を残すのではなく、私たちも、次の若者にも、記憶に残せるようなことを自分から受け継いでいきたい」と、震災から得た学びをつないでいくことを誓った。
張さんは、「近年、日本各地で大きな災害が相次いでいることもあり、日ごろから地域の方としっかりコミュニケーションをとりたいなと意識しています。何か災害があったとき、自分であったり大切な人だったりを守るということは第一だと思いますが、その先の普段の日常を取り戻すという過程で、地域の方々と協力しなければいけないことがたくさんあると思うので、日ごろからコミュニケーションをとって信頼関係を築いていければいいなと思っています」と、周囲との連係の大切さを課題に挙げた。
加久さんは、日本各地で災害が相次いでいることを踏まえて、「純粋に、次は自分(が被災する)じゃないかと思って怖いなと思っています」と正直な思いを吐露。「ただ、災害のない場所はどこにもないと思う。これからもずっと神戸に住み続けたいと思っているので、(災害からは)逃れられないと思って、覚悟して、できる限りの、いまできることを準備したい。(被災時の)集合場所を決めたり、もし帰宅難民になったらという話をしたり、震災を経験した両親の話も聞きながら(災害時の)対策をしていきたい」と、いつ何が起きても備えられるような、心身の準備の重要性を認識していた。