「恵子、とにかく生きていて」「拉致され、どんな気持ちだったのか」有本明弘さん死去、家族が心境語る | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「恵子、とにかく生きていて」「拉致され、どんな気持ちだったのか」有本明弘さん死去、家族が心境語る

LINEで送る

この記事の写真を見る(6枚)

 北朝鮮によって1983(昭和58)年、当時23歳で拉致された神戸市長田区の有本恵子さんの父親、明弘さん(96)が、2月15日未明、老衰のため死去した。

拉致被害者・有本恵子の父、明弘さん 日本政府に対して「拉致問題に正面から取り組んでほしい」と訴え続けてきた

 明弘さんの家族5人が17日、神戸市内で会見した。

 明弘さんは亡くなる数日前に、「恵子のことは残念だったけど、家族に見守られ幸せだった。これからは、きょうだいで仲良くやっていけよ」と話し、それぞれの人生を大事にして幸せになるよう、メッセージを送ったという。

会見する有本明弘さんの家族〈2025年2月17日 13時01分撮影 神戸市長田区〉

 恵子さんは6人きょうだいの三女。ロンドンでの留学を終えてヨーロッパを旅行中の1983(昭和58)年に消息を絶った。「よど号ハイジャック事件」のメンバーらによってデンマークのコペンハーゲンに誘い出され、そこから北朝鮮へ拉致されたとされる(2002年の公判での証言)。
 1988年、同じくヨーロッパで拉致された石岡亨さんが家族に宛てた手紙から、恵子さんが北朝鮮・平壌で暮らしていることを知った。

有本恵子さん 1983年、23歳で消息を絶った

 明弘さんは妻・嘉代子さんと2人で拉致問題解決のための運動を続けた。
 1997年に同じ拉致被害者・横田めぐみさん(1977年失踪・当時13歳)の両親、滋さん(故人)・早紀江さんらと拉致被害者家族連絡会を結成、2002年3月に政府が拉致被害者に認定した。

 北朝鮮政府は、同年9月17日の日朝首脳会談後に、「恵子さんは1985年12月に石岡亨さんと結婚、翌年娘を生んだが、1988年11月4日にガス中毒で子どもを含む家族全員が死亡した」と説明。しかし、それを裏付ける証拠はなかった。
 死亡したとされたこの年以降も目撃情報があることなどから、明弘さんは「恵子はまだ生きている」と、嘉代子さんとともに再会を願っていたが、嘉代子さんは、2020年2月に亡くなった(享年94歳)。

会見する有本明弘さんの家族〈2025年2月17日 13時23分撮影 神戸市長田区〉
LINEで送る

関連記事