「震災の経験を次世代につないでいくためには、震災を知り、語り合える場所を日常的に残し続けることが大切。それは、阪神・淡路大震災でも東日本大震災でも同じ」と訴える。
藤本さんが阪神・淡路大震災の被災者支援に携わったのは20年目の2015年。「これまで1年1年を乗り越えて、ようやく30年の節目を迎えた。節目だけを取り上げること、意識することに疑問を投げかける人もいるが、被災地の皆さんが震災を思い出すきっかけになるのなら、大切なこと」と話す。

「風化」という言葉を使いたくないからこそ、支援を続ける。被災者の高齢化が進み、語り継ぐ人が減っていく。14年目の東日本大震災ですら、その傾向にある。
ましてや、30年目を迎えた阪神・淡路大震災ならどうか。若い世代にどう伝えるかが重要だと感じている。

自分を奮い立たせて活動を続ける中、心が折れそうになったこともある。しかし、東遊園地(神戸市中央区)で毎年行われる阪神・淡路大震災の追悼行事「1.17のつどい」は、コロナ禍のピーク時を除いて参加者が増え、寄付も減っていない。30年経った今でも、“みなさんの思い”が集うことが尊いと感じている。

昨年(2024年)の元日、能登半島地震が起きた。日本列島に住む以上、災害を避けることができないことを思い知った。「大地震がなければ、災害について語らなくて良いのかという問題ではない」と訴える。
藤本さんが能登半島に訪れたのは10回を超える。特に大切なのは“コミュニティサポート”。
月1回のペースで、関西の大学生を連れて炊き出しなどを行っている。

被災地の方々が少しでも前向きになれるように寄り添っているが、能登半島の復興への歩みは遅く、被災者がなかなか前向きになれないことがもどかしい。