兵庫・姫路は「マッチの街」だった!? 地場産業守る老舗メーカー 火の役割や大切さ伝える取り組みも | ラジトピ ラジオ関西トピックス

兵庫・姫路は「マッチの街」だった!? 地場産業守る老舗メーカー 火の役割や大切さ伝える取り組みも

LINEで送る

この記事の写真を見る(7枚)

 かつて日本有数の「マッチ産業の地」として名を馳せた兵庫県・姫路市。多くのマッチ工場が集まる一大生産地でした。

 その伝統を今も守り続けるのが、1900年(明治33年)に創業した株式会社日東社。マッチ産業における歴史や現在の取り組みについて、専務取締役の大西潤さんに詳しく取材しました。

「姫路=マッチの街」という時代があった?(イメージ)

☆☆☆☆

 同社の創業者は「いつかおれのマッチ工場を作ってやる」という夢を抱き、マッチ箱の製造からスタート。そして1923年、「日東社燐寸製造所」として自らの会社を設立し、ここから同社の歴史が始まりました。

 当時マッチ産業は姫路の主要な地場産業の一つでしたが、時代の流れとともに需要は大きく変化していきます。

 戦後のピークである1973年には国内のマッチ生産量は現在の100倍に達していましたが、今では市場規模が縮小。その中でも同社は国内で数少ない一貫生産メーカーとして、今なお“マッチ文化”を守り続けているのです。

マッチ製造機 提供:株式会社日東社
マッチ製造機(提供:株式会社日東社)

 現在、同社の売上の約2割はアメリカへの輸出。国内売上としては100円ショップやホームセンターなどで市販されるマッチが主力となっており、その用途の多くは仏壇や墓での使用だといいます。

線香やロウソクに火をつけるツールとしての需要が主なマッチ。全盛期には、企業や店などのPRが箱に印刷された「広告マッチ」が主流だったのだそう(イメージ)

 地場産業として地域とのつながりも大切にしており、「マッチ工場の見学」をふるさと納税の返礼品としている同社。

LINEで送る

関連記事