構造物自体はオーストリアで組み立てられた後で、海上輸送で日本に運ばれ、日本の建設会社が夢洲の会場で組み立てた。
これまでにないことで、台風や地震などの災害に耐えうるかという課題をクリアするために、さまざまな工夫を施している。
1869(明治2)年、日本はオーストリア(当時はオーストリア=ハンガリー二重帝国)と修好通商条約を結び、1873(明治6)年のウィーン万博に初めて公式に参加、明治時代に海外で“ジャポニズム”の波を起こした。

パビリオンの展示スペース(約220平方メートル)は3つのゾーンに分かれている。

まず最初の「関係性の部屋」。目に飛び込むのは、1869年にオーストリアの皇帝から明治天皇に献上されたというベーゼンドルファー社のグランドピアノ「エンペラー」のレプリカ展示。世界で16台しかない。

ベーゼンドルファー社は1828年、ウィーンで創業した現存する世界最古のピアノメーカー。
■オーストリアパビリオン・プロモーション映像 (C) Expo Austria/BWM Designers & Architects





