事故から1年を前に、自らのグループへの協力を依頼するために、加害企業であるJR西日本へ向かう。


最初は聞き入れてもらえないと思っていたが、被害者の家族を含む市民の動きを認めてもらい、活動への自信が芽生えた。JR西日本各駅の「おわび」のポスターの隣に追悼行事の取り組みを記したポスターを掲示した。

三井さんはその後、1995年に起きた地下鉄サリン事件をきっかけに立ち上がった、犯罪や事故の被害者・被災者らを支援するNPO法人「リカバリー・サポート・センター」とも連携を深めた。
また、日航機事故の遺族でつくる「8.12連絡会」事務局長・美谷島邦子さんとの出会いも大きな転機となる。
1985年8月12日、JAL123便が御巣鷹の尾根に墜落、520名の尊い命が奪われた日航ジャンボ機墜落事故。それから20年後にJR福知山線脱線事故は起きた。


美谷島さんは昨年7月、ラジオ関西の取材に対し、「被害者や遺族の心をひとつにまとめるのではない。(慰霊のため、日航機事故現場の)御巣鷹山へ登ることも強制しない。ただ、さまざまな事故や災害を経験された方々が自発的に事故現場を訪れ、命の重みや大切さを改めて感じて、心を鎮めることができたら」と答えた。

三井さんも同感する。運動体をつくるのではない。先頭での旗振り役でもない。居場所を設けて、後ろから見守る立場でありたいと願う。




