2025年、球団創設90周年を迎えた阪神タイガース。虎のマークも長い歴史を持つ。本拠地・甲子園球場とその周辺の地域の歴史と共に、野球、そして阪神タイガースにまつわる様々なデザインを紹介する「野球とデザイン-デザインで巡る阪神タイガース-」が、西宮市大谷記念美術館で開かれている。7月27日(日)まで。

2025年は、阪神タイガース球団創設90周年、そして阪神電気鉄道が神戸(三宮)-大阪(出入橋)間の営業を開始してから120年、そして甲子園球場がある西宮市の市制施行100年という節目の年にあたる。今展では、「タイガース」そして「場所(地域)」をキーワードに、約500点のポスターや観戦チケット、ユニフォームなどのデザインを通してその歴史を紐解く。

「ベースボール」が日本に伝わったのは1872年。野球という訳語が登場したのは94年と言われている。阪神タイガースは、1935年に「大阪タイガース」として誕生。40年に「阪神」と改名したが46年に再び「大阪」に。現在の「阪神タイガース」になったのは1961年のことだった。大阪・阪神の2文字は変わっても「タイガース」は変わっていない。球団創設期の名称を一貫して使っている、そして本拠地となる球場も変わっていない唯一の球団だ。
「阪神電鉄が開業し、宅地開発が進んで沿線に人が住むようになった。住民以外も楽しめる場所にしようとレジャー施設や野球場も建設された。そのひとつが香櫨園だった」と、同館の下村朝香学芸員は話す。
当時の香櫨園は「遊園地」で、野球の試合も行われ多くの人が訪れていた。その沿線開発の一環として阪神電鉄が甲子園に「大運動場」を完成させる。甲子園球場の誕生だ。
当初は野球だけでなく、相撲、ボクシング、そしてなんとスキージャンプなども行われていた。また周辺にもレジャー施設が建設された。そのポスターやリーフレットのグラフィックデザインを手掛けたのは、阪神電鉄の社員だった早川源一(1906~1976)だった。

早川は、タイガースの「虎」マークの生みの親でもある。「虎」は球団創設当時から現在までほぼ変わっていない超ロングライフデザインだ。早川が球団設立の翌年、1936年に手掛けたポスター『大阪タイガース 来る』には、現在とあまり変わらない虎のマークとTigersのロゴが描かれている。下村学芸員は「これほど長い間愛され続けるのは、早川さんのデザインが持つ力が大きい」と分析する。




