シンガーソングライターの八神純子さん。女性を応援するラジオ番組にて、自身の原点である楽曲『雨の日のひとりごと』や音楽人生の原点、被災地支援活動について語りました。
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八神さんが初めて作詞・作曲をしたのは高校1年生のとき。歌うことが大好きだった八神さんは、親戚や友人の前でよく歌っていたそうです。そんな日々の中、ヤマハのボーカルタレントコースに誘われ挑戦するもオーディションで全員が合格するという結果にモチベーションが低下。しかし、ポピュラーソングコンテストに出場するため、自分自身で曲を作る決意を固めました。

「例えば4小節だけ作って、それを繰り返し歌いながら6小節にして、そこから8小節にして。編み物をするように曲が出来ていくんです」と語る八神さん。そうして誕生した楽曲が『雨の日のひとりごと』。自身の得意な高音を活かすため、セルフプロデュースにも工夫を凝らしたそう。努力は実を結び、同曲はポピュラーソングコンテストで優秀曲賞を受賞。武道館での演奏という貴重な経験を果たします。この経験が八神さんの音楽キャリアの原点となりました。
武道館でオーケストラと共演するという大舞台を踏んだものの、グランプリは惜しくも逃した八神さん。「悔しくて悔しくて、ホテルに帰って泣いて、そのまま朝を迎えました」と当時の心境を振り返ります。悔しさをバネに、翌年もポピュラーソングコンテストに挑戦するも、その年のグランプリは中島みゆきさんの名曲『時代』でした。当初はこの曲に対して複雑な感情を抱いていた八神さんですが、後に東日本大震災の被災地支援の場で歌う機会を得て「大切な存在になった」と語ります。
被災地支援の場で行ったライブは、八神さんの歌に対する姿勢を大きく変えるきっかけとなりました。
「アスファルトの上で3人の方々が座っていらして。寒いのに、私が歌うのをずっと待っていらした。その時に『どうしたら思いが伝わるんだろう。“伝わる歌”ってどういうものなんだろう』って考えさせられて。大きな声で歌えば伝わるもんじゃないなっていうのが分かった」(八神さん)
かつては『水色の雨』『パープルタウン』などのヒット曲に対し「歌詞の意味を考えると歌うことに戸惑いがあった」と八神さん。しかしながら、被災者からのリクエストに応えるうちに「歌の持つ力」を実感し「人を喜ばせることこそがエンターテイナーの使命」だと改めて認識することができたのだとか。
アメリカ・ロサンゼルスに拠点を置く八神さんですが、2001年の「9.11同時多発テロ」とその直前に親友家族が巻き込まれた事件を経験。その後しばらく音楽活動を休止していましたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災を機に迷いを振り切り活動を再開しました。「9.11と3.11。その間が私にとって迷いに迷った時期だったんです。でも、3.11が起きた時に『迷ってる場合じゃない』と決断しました」と当時の心境を吐露。
阪神・淡路大震災の際にはアメリカに滞在しており、日本へ戻るタイミングを逃したことを悔やんでいたという八神さん。その経験もまた、東日本大震災での即行動という決断を後押ししました。以来、チャリティコンサートを継続的に開催し、音楽を通じての支援活動を続けています。
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今秋、4時間にわたるライブイベント「ヤガ祭り」を控えている八神さん。歌いたくても歌えなかった期間を経て、歌への情熱はさらに加速しているとか。「2年前にアメリカでソングライターの賞を頂いたとき『あなたのステージは“ファイアボール”のようだ』と言われました。今こうして第二の音楽人生に火がついて、自分でもファイアボールだなって思う。もう誰も止められない、私のやりたいようにやるわよ」と決意をあらわにしていました。
※ラジオ関西『ハートフルサポーター』2025年6月16日、6月23日放送回より




