太平洋戦争の終戦前日、アメリカ軍による最後の大阪大空襲で多くの命が奪われた「京橋駅空襲」。

8月14日午前、惨劇から80年を迎え、被災者慰霊祭が大阪市城東区のJR京橋駅南口にある慰霊碑前で営まれた。
慰霊祭は1955(昭和30)年に始まり、71回目。


1945年(昭和20年)8月14日、米軍のB29爆撃機145機が来襲(第8次大阪大空襲)。ターゲットは大阪城の敷地内にあった大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)。6万5000人が動員され、「東洋一の軍需工場」と呼ばれていた。
B29爆撃機は650発もの爆弾を次々に投下、造兵廠一帯は壊滅的な被害を受けた。その際、1トン爆弾が近くの国鉄京橋駅を直撃し駅舎は吹き飛んだ。
身元が判明した死者は210人、実際の犠牲者は500人~600人と推定されている。


戦争体験者の高齢化に加え、ここ数年は猛暑の影響で参列を見送り、当日は自宅で過ごす当事者や遺族も多い。





