ドラァグクイーンのサマンサ・アナンサとネオ昭和アーティストの阪田マリンが木曜日にパーソナリティーを務める番組『Clip』(ラジオ関西、月-木午後1時~)で、昭和の懐かしいアイテムとして「缶づめ」「学校に関するアイテム」を取り上げました。
いまでは保存食として当たり前の缶づめですが、日本では明治の初期に登場したようです。しかし、それは一般人向けではなく、輸出、または軍需用(戦場などでの食事用)だったようです。
1923(大正12)年の関東大震災のあと、外国からの支援物資として缶づめがたくさん届いたことで一般的に普及した、という説があります。
私たちが知っている缶づめは簡単に開けられますが、ひと昔前は、缶切りがないと開けることができませんでした。
食品は缶切りでぐるっと切って開ける必要がありましたし、飲み物は2か所に穴を開けて注ぐという感じです。缶切りがなくて、マイナスドライバーと金づちでこじ開けたという人もいるのではないでしょうか。

“缶切りを使ったことがあるか”と尋ねられたサマンサは、「缶切りではなかなか『開かん』けど、開いたときは『圧巻』」と、得意のダジャレを連発していました。
1965(昭和40)年になると現在のプルトップタイプが登場し、指を切るリスクが激減しました。それらは缶の飲み物にも採用され、購入後すぐに飲めるようになりました。
当時の缶飲料のプルトップ、現在のものと異なるのですが、覚えているでしょうか? 昔は、開封後のタブは缶から離れたため、子どもたちはプルタブを飛ばして遊んでいたそうです。ただ、ポイ捨てしたり、捨てる場所がなくて缶の中に入れて誤って飲んでしまったりということもあり、現在は、開けても缶から外れないタイプが主流となりました。
飲み物つながりでもう少し。昭和のジュースは、瓶でも多く売られていました。マリンは、瓶ジュースを集めてインテリアとして飾っているそうで、「未開封の状態のものはなかなか手に入らない」といいます。当然中身は飲めませんが、状態の良いものだと小さな瓶1本5000円で程度で売られているのだとか。

1975(昭和50)年ごろは、コーラなどの瓶ジュースが50~60円で売られており、瓶を店に返しに行くと10円戻ってきたそうです。王冠の裏に当たりがついているものや、キャラクターの絵が印刷されているものもあり、子どもたちは集めていたそうです。





