それでも「民藝」と聞いて思い浮かべるのは、じつは柳とともに民藝運動を推進した陶芸家の河井寬次郎(1890-1966年)や濱田庄司(1894-1978年)の作品であったりしないでしょうか。あるいは1926年、民藝運動の始まりとされる「日本民藝美術館設立趣意書」に名を連ねた陶芸家の富本憲吉(1886-1963年)や、日本で陶芸を始め、1920年にイギリスに帰国した陶芸家のバーナード・リーチ(1887-1979年)もまた、民藝の思想に深く共感していた作家の1人です。
彼らは皆、卓越した審美眼と優れた創造性を持っていた個人作家でありながら、手仕事を駆使し、人々の生活に供するうつわを制作し続けていました。彼らが民藝のエッセンスを理解し、実践者として美しい品々を作り続けたからこそ、民藝は現代へとつながれたのではないでしょうか。
民藝とはつまり美しさの問題であって、技術でもなければ、スタイルでもありません。自然の、あるがままの、作り手も使い手ももっとも自然体でいられることが大切なのではないかと考えます。人の手でものが作られる限り、個の美意識は消し去れるものではなく、その人の手癖や人柄が自ずとにじみ出てくるものであり、だからこそ、手仕事のものには、それぞれの作り手の美しさの基準が宿り、きわめて味わい深いものとなるのではないでしょうか。
本展の冒頭では、「民藝とは何か」を考えるヒントとして、柳が民藝という美意識に目覚めるきっかけとなった、李氏朝鮮時代の白磁作品を日本民藝館からお借りし、導入部分としています。1936年、民藝運動の拠点として東京・駒場に開館した同館には、柳によって選ばれた民藝の品々が数多く収蔵されていますが、特に李朝白磁の大壺は、彼が深く愛したものの一つ。大きくゆがみながらも絶妙なバランスを保ち、おおらかさの中にも漂う気品に、柳は「不完全の美」を見出します。そして、柳が見出した美のエッセンスは、実は様々なかたちで個人作家たちの手仕事の中にも生かされていくのです。
本展で取り上げるのは、富本やリーチなどパイオニア世代から、民藝運動における絶対的エースである河井と濱田、彼らの美意識を受け継ぐ後進の作家たちです。加えて、ルーシー・リー(1902-1995年)やハンス・コパー(1920-1981年)ら20世紀モダニズムを踏まえたヨーロッパの作家たち、現代の作り手8人による多様なうつわも展観します。そのいずれもが、誠実な手仕事を積み重ね、その時代の人々の生活に向けて作られているものばかりです。
近代化によって失われていった手仕事が、個人作家の作品の中でいきいきと生命をつないでいます。柳の見つめた民藝のエッセンスとは何だったのか、ぜひ現代の視点から眺めていただきたいと思います。展覧会を見終わった後、「あれ?今日は何の展覧会を見に来たんだっけ?」と思っていただけたなら、既成のイメージに縛られがちな民藝の概念がほんの少し、ポロっと剥がれたのだと思います。





