兵庫県北部・但馬地域には、「鉱石の道」と呼ばれる産業遺産群があります。生野鉱山・神子畑鉱山(朝来市)、明延鉱山・中瀬鉱山(養父市)の4つの鉱山を結ぶエリアを指す名称で、日本の近代化の歩みをいまに伝える場所です。
いずれも明治維新後に日本初の官営鉱山として運営が進められ、西洋の鉱山技術を導入する拠点となりました。フランス人技師を招いて採鉱・製錬設備の近代化が進んだことで、全国の鉱山発展のモデルとなり、多くの技術者がここで育ち全国へと羽ばたいていきました。
最盛期の生野鉱山周辺には1万人規模の人口が集まり、鉱山学校も設置されるなど、当時としては非常に“ハイカラ”で都会的な生活文化が築かれていたといいます。近代日本の産業史に大きな影響を与えた地域であり、「この地から日本の近代化がはじまった」ともいえる場所です。
4つの鉱山には、それぞれ特徴があります。
【生野鉱山】
日本有数の鉱山として長い歴史を持ち、現在は観光坑道として公開されています。
【(神子畑鉱山)神子畑選鉱場跡】
山あいに突如姿を現す巨大な選鉱場跡が象徴的で、「東洋一」とも呼ばれた迫力ある構造物が残ります。
【明延鉱山】
錫鉱山として栄え、坑道の内部をいまもそのままの状態で見ることができます。
【中瀬鉱山】
金やアンチモンの産地として知られ、鉱山町の面影が色濃く残っています。
ひとつのエリアでありながら、鉱山ごとに歴史も産物も異なり、その“違い”と“つながり”が鉱石の道の大きな特色になっています。
鉱石の道は、銀の馬車道と同じく2007(平成19)年度に協議会が立ち上がり、本格的に活動が進められました。朝来市・養父市の行政、地元団体、企業などが協力して保存活動や情報発信に取り組んでおり、日本遺産としての認定以前からエリアを越えた連携が行われています。
鉱石の道の大きな魅力は、実際の坑道内部に入ることができる点にあります。特に、明延鉱山では配管や岩盤がそのまま残る坑道に入ることができ、当時の作業環境を立体的に感じられます。
一方、生野銀山では観光用に整備された坑道に気軽に入ることができます。キャラクター人形による採掘の様子の再現もあり、幅広い年代に親しまれています。
同じ鉱山でも、「リアルな姿がそのまま残る場所」と「観光化が進み訪れやすい場所」があることが鉱石の道の楽しみの幅を広げています。





