次は「頭切り」。蝋に覆われている芯を出す。昔は手作業だったが、今は鉛筆削りのような機械を使う。
そして最後の工程が長さを整える「尻切り」。「上(頭)は決まっているので、下(お尻)を切って長さを合わせます」と松本さん。
松本商店は、明治10年、姫路で修行をした初代・亀吉が大阪・福島で創業した。もともと和ろうそく屋は城下町に多かった。高価なものだったので武家屋敷や遊郭などで照明替わりに使われていたという。「福島も城下町だった。だから福島を選んだと思います」と松本さん。昭和20年6月の大空襲をきっかけに福島を離れたが、縁があって西宮・今津に来た。当初は2代目(松本さんの祖父)が、西宮にあった洋ろうそく屋を手伝っていたという。その頃は戦争で焼け出され、停電も多く、ろうそくはつくれば売れる時代だった。「でもおじいちゃんはそんな時代はいつまでも続かないだろうし、うちは伝統の和ろうそくをやらなあかんと、和ろうそく屋を再開したんです」。

4代目となる松本さんが家業を継いだのは昭和の終わりごろ。「正直なところ、こんな時代に逆行したもの、売れへんわと感じた」と話す。手作りではなく機械化しようと思っていたこともあり、一度に12本作れる機械を導入した。「でも12本とも全部形の違うものができた。なんでやろ?」と思っていた時に、阪神・淡路大震災が起きた。「家もつぶれ、工場もつぶれ…この辺り(西宮市今津)は70~80%が全半壊だった。(前年の12月に導入したばかりの)機械も、ほぼ動かさないままつぶれた。震災後、電気はすぐにきたので、3代目(父親)は電気調理器で蝋を温めて、黙々と手で作り始めた。3月の彼岸までに何万本ものろうそくを、手で作って何とかお寺に納めた。機械の導入をめぐって父親とは喧嘩ばかりだったけど、その時に気づいたんです。結局、松本商店、和ろうそくの世界にとっては手作業が一番効率のいいことではないかと」と、松本さんは振り返る。

なぜ機械ではうまくできなかったのか。その理由について松本さんは、「蝋自体が植物性で、1つ1つ性質が違う。ろうそくの芯も奈良県でおばあちゃんたちが手作業で巻いてくれている。太いものもあれば細いものもある。そんなの一元的にデータ化できない。でも人間の手は、芯をパッと触ったときに、あ、これは太いから蝋は1回くらい塗ったらいいな、とか、手がコンピュータになって感じてくれる。それが職人の手。この蝋は普段より粘りがあるからこのくらいでいいとか。全部手が覚えている。だから和ろうそくは手作業がいい。それに気づいた」。

現在、同店では、手作業の他、型を使ってろうそくづくりを行う。型を使うことについて「一部を機械化しました(松本さん)」というものの、型に蝋を流し込む、型から取り出すなど、その工程は「ほぼ手作業」だ。清荒神(宝塚市)や一心寺(大阪市)に納めるものも手掛けており、「例えば清荒神は山の上にあるので風が強い。すぐに消えないよう火力強めの特別仕様です」と話す。


寺に納めるものの他、絵ろうそくも手掛ける。絵ろうそくは、東北や北陸の雪が多い地域で、花の少ない冬に花の代わりに使う風習があった。ほぼ忘れられていたが「復活」させた。絵は、1本1本、手作業でつけられていく。「こんな柄を描いてほしい」という要望にも応える。クリスマスやバレンタイン、地域の名所など、これまでに手掛けたのは「わからないくらい多い」と笑う。





