姫路の菓子文化。それは甘味としての歴史だけでなく、城下町の文化や産業と深く結びつきながら育まれてきました。株式会社白鷺陣屋の会長かつ姫路菓子組合顧問の井上賢さんに話を聞きました。
江戸時代後期、財政難に直面した姫路藩では産業振興の一環として和菓子づくりが奨励されました。藩士や技術者が江戸や京都、長崎へ派遣され、茶の湯文化とともに菓子の技術や美意識が城下町に根づいていったといいます。

2008年、姫路で開催された「全国菓子大博覧会・兵庫(通称:姫路菓子博)」は、県庁所在地以外では初めての開催でした。「神戸ではやらないということを聞き、それでは姫路でやらせてほしいと声を上げました」と、井上さんは当時のことを振り返ります。そこから大きな挑戦が動き出しました。
開催に向けて井上さんが重視したのは、責任の所在を曖昧にしないことでした。行政、業界、関係団体全員が当事者として責任を担う体制を明確にしたことが、結果として全国から高い評価を受ける運営につながったといいます。

ひめじ菓子博を象徴する取り組みの一つが、伝統工芸菓子「白鷺の夢」です。和菓子職人と洋菓子職人が分野の垣根を越えて協働し、姫路城と大名行列をモチーフにした大作を制作しました。完成した作品は、美術館や博物館に「芸術作品」として展示されました。「食材を使ったものを展示するのは、本来は難しいことです。でも、あれは“菓子”という枠を超えた芸術品として認めてもらえたのだと、大変感激したことを覚えています」と、井上さんは当時の気持ちを振り返ります。
制作期間はおよそ1年。職人たちは通常の業務を終えた後、夜なべをしながら作業を重ねました。「技術だけなら教えられる。でも、あれ以上のものは作れない。魂が入っているから」という制作に携わった関係者の言葉が、工芸菓子に込められた思いの深さを物語っています。菓子博の成功をきっかけに、姫路菓子組合は大きく方向転換しました。それまでの親睦中心の組合運営から、「活動する組合」へと歩みを進めていきます。


井上さんが特に大切にしてきたのは、情報の公平な共有です。法改正への対応や講習会の開催など、個店では難しい取り組みを団体の力で支える姿勢は、現在も受け継がれています。原材料費の高騰や為替の影響など、菓子業界を取り巻く環境は年々厳しさを増しています。それでも井上さんは、姫路の菓子文化には、まだ多くの可能性があると見ています。
「歴史は、しまい込んでしまったら終わりです。人が関わり続けてこそ、次の世代に伝わっていくのだと思います」と、井上さんは次の世代への期待も語ります。長年受け継がれてきた姫路の菓子文化は、今もなお、人の手と想いによって更新され続けています。
(取材・文=洲崎春花)
※ラジオ関西「ヒメトピ558」2026年2月6日、13日放送分より






