当初の予定では、大阪・関西万博の会場、夢洲に廃校舎3棟だけを移設し、イチョウの木は伐採される運命にあったが、「どうしても夢洲へ移植したい」との河瀬監督の思いから、イチョウを中心に河瀬館のランドスケープを再構成した経緯があった。

河瀬監督はセレモニーで、閉幕が近づき、イチョウの今後をめぐって、万博を主催・運営する日本国際博覧会協会から「イチョウを会場から運び出す算段ができなければ伐採する」と期限を提示されていたことを明かした。


「私の辞書に伐採はないから」と言い聞かせていた河瀬監督。しかし、現実は厳しく、イチョウは2度目の伐採危機にさらされていた。
事態が急転したのは閉幕直前だった。河瀬館のバックヤードに千代松大耕(ひろやす)・泉佐野市長が突如現れた。そして河瀬監督に「うち(泉佐野)で引き取りましょう」と話を持ちかけた。
千代松市長は、河瀬監督が万博のレガシーを残すため、「建物とイチョウの木を引き継いで下さる方がいらっしゃれば」と訴えかけていたのを目にして、いても立ってもいられなかったという。

河瀬監督は、泉佐野市のトップが自ら河瀬館まで足を運び、大きな決断をしたことに感銘を受け、「夢のような日になった。たくさんの人の思いに支えられた。このイチョウの木の周りで、これから生まれてくる子どもたちが遊んでくれたら。私も生涯をかけて、ここ泉佐野から万博レガシーを発信していきたい」と語った。
泉佐野市の木はイチョウ。これも後押ししたかも知れない。


そして、河瀬館が目指した“思いを言葉にして伝える”重要性を訴え、「最後まであきらめないという気持ちがいろんなことを形作っていった」と振り返った。
また千代松市長は、「パビリオン移設に向けた記念すべき第一歩。対話(Dialogue)を通じて命の尊さを学ぶ新たな拠点としてブランディングし、大阪・関西万博の理念と精神を受け継いでいく」と述べた。

泉佐野丘陵緑地






