戦争体験者の高齢化に加え、ここ数年は猛暑の影響で参列を見送り、当日は自宅で過ごす当事者や遺族も多い。


慰霊祭に毎年参列する安本恒次良(つねじろう) さん(96・大阪市城東区)は、疎開先の京都府福知山市から大阪市城東区鴫野(しぎの)の自宅に戻るため、爆撃される1本前の列車で国鉄城東線(現在の大阪環状線)京橋駅に着いた。
空襲警報が鳴り、防空壕に逃げ込んだとたん、爆弾が落ちる地響きのような音を聞いた。防空壕から出ると、あたりは一面焼け野原に。世界が変わっていた。
あれから81年。世界では中東情勢の悪化やウクナイナへの軍事侵攻の長期化が深刻だ。安本さんはこうした現状を踏まえ、「戦争はやめてほしい。平和が一番、生きていることが一番です」としみじみ語る。


参列した大阪市立旭東中学校・冨永恵丞(けいすけ)教諭(29)は高校3年だった11年前、終戦70年に関連した授業で初めて“戦争語り部”の存在を知った。
教師となった今、いかに生徒たちに語り継ぐかを考えている。


冨永教諭の教え子ら3人がこの日、慰霊祭で作文を朗読した。その内容は、
「今、いじめやSNSでの誹謗中傷などによって苦しんでいる人がいる。平和とは、ただ争いがないことではなく、一人ひとりが安心して自分らしく過ごせることだと思う。だからこそ、常に相手を思いやり、身近なところで平和を作っていくことが大切」
「私の曽祖母は終戦を満州で迎えた。終戦後、命からがら日本へ引き上げてきたと聞いている。そのような苦難を乗り越えて命が受け継がれたからこそ、今の私がある」
「あと1日で戦争が終わるという時に、多くの尊い命が失われた京橋駅空襲を知り、戦争のむごさや理不尽さを強く感じた。もし自分がその時代に生きていたらどうだったのだろうと思うと、言葉では表せないほど悲しい気持ちになった」と、他人事ではなく、平和への意識を高めるメッセージだった。




慰霊祭世話人会(大阪市旭区)によると、空襲被災者や遺族へ送付した案内状は、メールと封書で計300通。終戦81年の今年は、半数を超える約200人が参列した。






