『寛永行幸四百年祭』饗宴を再現…新作能「寛永行幸」上演 満席の金剛能楽堂、能楽の絵巻物を堪能

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 徳川幕府が後水尾天皇を二条城に招き、5日間にわたり贅を尽くした食や舞楽、 蹴鞠 、和歌の会や能楽でもてなした江戸時代最大級の行事「寛永行幸」。
 1626(寛永3)年9月6日、京都御所から二条城まで約3キロにわたり、朝廷をはじめ公家や全国の大名など、総勢約9000人による大行列が繰り広げられた。

豪華絢爛な寛永行幸の様子を描いた「二条城行幸図屏風」〈2026年9月4日撮影 京都市左京区・泉屋博古館〉
巨大なPRボードにも寛永行幸図屏風の一部が〈2026年8月18日撮影 京都市上京区・二条城〉

 今年(2026年)は行幸から400年。

 この一大イベントを題材にした新作能『寛永行幸』が9月6日、金剛能楽堂(京都市上京区)で上演された。

 この公演は、京都に深く関わる2つの流派を代表する能楽師、金剛流若宗家・金剛龍謹(こんごう・たつのり)氏と、京観世五軒家 林家当主・十四世林喜右衛門氏が共に舞台に立つ、能楽史上稀にみる、金剛・観世の“異流共演”が実現した。
 金剛龍謹氏が後水尾天皇、林喜右衛門氏氏が徳川家光を演じ、満席となった金剛能楽堂で約400人が能楽の歴史絵巻を堪能した。

寛永行幸四百年祭記念能 新作能『寛永行幸』中央に後水尾天皇(林喜右衛門氏)、両脇に徳川家光(金剛龍謹氏)・秀忠(有松遼一氏)〈2026年9月6日撮影 金剛能楽堂〉※画像提供・寛永行幸四百年祭実行委員会

 寛永行幸のハイライトとして4日目。能楽(当時は猿楽)でもてなされた。後水尾天皇は教養が高く、能楽への興味は多大だったとされるが、鑑賞したのは初めてだったという。

二条城への行幸〈2026年9月6日撮影 金剛能楽堂〉※画像提供・寛永行幸四百年祭実行委員会

 当時演じられた能楽の番組(演目)の記録が残っており、そのまま再演する案もあった。しかし当時九番(9種類の演目)も演じられたものを1日で再現するのは現実的ではなく、新作能を創作するに至った。
 御所から二条城への行幸から、御所へ戻る還幸までを絵巻物仕立てで表現されている。

後水尾天皇の行幸 屋根の上に鳳凰の装飾がついた格式高い輿「鳳輦(ほうれん)」に乗る(二条城行幸図屏風より)

 能の世界に魅了された天皇が、“夢うつつ”のはざまで自らも舞い、家光や秀忠も舞に加わる場面や、雅楽や蹴鞠(けまり)などを観て楽しむ場面が綴られる。
 そして天皇が二条城の天守から都を見渡すと、清水寺の音羽の滝から青龍が、二条城南側の神泉苑から金色の龍神という“吉兆のしるし”がそれぞれ現れ、天下泰平と国家安穏を表現。天皇は大満足のうちに御所へ還幸するストーリーとなっている。

後水尾天皇は5日間にわたり二条城での“饗宴”を堪能した〈2026年9月6日撮影 金剛能楽堂〉※画像提供・寛永行幸四百年祭実行委員会
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