「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などで知られる漫画家、水木しげるさん(本名・武良茂さん/1922~2015年)の波乱に満ちた人生と画業をたどる特別展「水木しげる 魂の漫画展」が神戸ファッション美術館(神戸市東灘区)で開かれている。漫画原稿や原画、愛用の道具、映像資料などを通して、水木さんが独自の漫画表現をいかに築いていったのかをたどる大規模な回顧展だ。開幕に先立ち、水木さんの長女、原口尚子さんによるギャラリートークが行われ、創作の舞台裏や生活の様子、家族しか知らないエピソードなどが紹介された。

実は水木さんの画業の出発点は神戸にあった。戦後、紙芝居づくりを生業とした時代に神戸や西宮で過ごし、その経験が以降の作品世界を形作る土台となった。
水木さんは少年時代を鳥取県の境港で暮らした。実家に来ていた「のんのんばあ」という手伝いの女性から、妖怪や死後の世界、地域に伝わるさまざまな話を聞いたことが、目に見えない世界への関心につながった。絵が大好きな活発な少年で、体育や工作、物語を書くことなどは得意だった一方、勉強は苦手だったという。

そんな少年は高等小学校を卒業した後、丹波篠山に引っ越し、甲子園口にも住んだ。大阪の夜間中学に通っていたころ、兵隊として召集され、太平洋戦争の激戦地ラバウルへ。戦地で生死の境をさまよい、爆撃で左手を失った。戦後、復員した水木さんはひょんなことから神戸の水木通(神戸市兵庫区)にあったアパート「水木荘」を買い取ることになり、大家・管理人となった。アパートに偶然、紙芝居作家がいて、その人に「絵が好きなら紙芝居を描いてみないか」と勧められたことが、水木さんの画業スタートにつながったという。水木さんのペンネームは水木荘に由来する。
紙芝居づくりは、1日に10枚ほどの絵を描き、翌日に続きの物語を見せるというハードな仕事だった。それでも水木さんは描き続けた。紙芝居の親方から教えてもらった大丸神戸店で売られていた着物用の染め粉も、後の水木作品を語る上で欠かせない存在となる。水木さんはこの染め粉を紙に使う技法を神戸時代に身につけ、後年、妖怪画を描く際にも活用した。「父は神戸が大好きだった。創作の原点となった神戸には、特別な思い入れがあったのではと思う」(原口さん)。画業とアパート経営の両立が厳しくなり水木荘を手放した後は西宮今津へ移り、兄の家族や弟と暮らしながら紙芝居を描いた。







