明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫・丹波について、歴史をはじめ多面的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。12月17日の放送回では、800年の歴史を持ち、“平家の落ち武者の隠れ里”ともいわれた丹波篠山の篭坊温泉について、民宿『湯の壺』の山田正洋さんにお話をお聞きしました。
番組パーソナリティーは、「兵庫・神戸のヒストリアン」として活躍する田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と、久保直子です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
【田辺】 篭坊温泉(丹波篠山市後川新田篭坊)はとても古い歴史があります。奈良時代には、この後川(しつかわ)のあたりは東大寺の荘園、「後河荘(しつかわのしょう)」がありました。源平の戦いのときには、敗れた平家の侍がここへやって来て出湯を見つけ、刀傷を治したという伝説があります。歴史のある温泉場で、篠山盆地から南の山の中に入った山里にあり、阪神間からもすぐの場所。40年くらい前までは冬になると、神戸でも阪神間でも“ぼたん鍋”といえば篭坊温泉といわれていました。
【山田さん】 現在、(篭坊温泉で)営業しているのは2軒になってしまった宿ですが、昭和50年代には7軒ありました。泉質は地下約50メートルから湧きでている冷鉱泉で鉄分を含んだ赤い炭酸鉱泉です。自然に地下の圧力が高まってくると噴き出してくる間欠泉で、だいたい2日に1回わいています。今でも当館(民宿「湯の壺」)から、少し南のところに50メートルの深さの井戸があり、自噴しています。温度は14℃の冷泉。夏も冬も温度は変わりません。それをボイラーで沸かしています。
【田辺】 温泉の法律上では、成分がある分量が入っていれば温度は何℃でも温泉というんです。平家の落ち武者が源氏にやられて逃げてきて、この山の中で湧きだしている温泉を見つけて、傷を癒したという言い伝えがありますね。
【山田さん】 その平家の墓がありましてね。安政の時代、地震が起こったり大水が出たり、災害や事件がものすごく起こったときに、この篭坊の婦人会の人が「これはきっと平家の墓を村人がきっちり守らなかったから、こういう災害が起こるのだろう」ということで、五輪塔をものすごい山の中に建立しているんです。それが、ある時の水害で流れたんですが、必死で村の人が探して五輪塔の頭をひとつと碑だけ見つけて、それを元あった場所におまつりしたんです。毎年、お彼岸に村人がそこへお参りに行っていたんですが、高齢化で足腰が弱り、お参りに行けなくなってしまいました。そこで、もっとお参りしやすい場所に降りてきてもらおうということで、一昨年、山から五輪の塚を持って降ろしてきて移設しました。
初めて五輪の塚を見せてもらったときに、石碑の裏を見たら「安政5年の建立」で、「篭坊婦人会」と書いてあることに気づきました。今はものすごい過疎で、婦人会もなければ子供会もない状況なんですが、安政の時代に篭坊の婦人会が五輪の塚を建立したことを知り、感動しました。当時はものすごく団結力があり、このあたりは栄えていたのだと感じました。現在、五輪塔は薬師堂の下にあります。
◆篭坊温泉 民宿 「湯の壺」
兵庫県篠山市後川新田篭坊79
http://www.sasayama-yunotsubo.com/
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年12⽉17⽇放送回音声