乗客106人が犠牲となったJR福知山線脱線事故で、1両目に乗車して重傷を負った福田裕子さん(宝塚市)は、再発防止を願う「空色の栞(しおり)」のデザインを手がけて11年。
事故当時は大阪芸術大3年。日本画を専攻していた福田さんは、福知山線に乗ってキャンパスへ通う途中だった。2005年4月25日、快速電車は異常なまでに速度を上げて行く。通勤・通学で福知山線を利用する人なら必ずその「異変」に気付くほどのスピード。一緒に乗り合わせた高校時代からの友人・木村仁美さん(西宮市)と 「何かが違うよね。スピード速くない?」事故が起きたのは、この言葉を交わした直後だった。
今まで聞いたことがないほどの大きな音。体が宙を舞った。一瞬の出来事だったが、福田さんの脳裏ではコマ送りで再生できる。そこで意識がいったん途絶える。意識が回復したとき、「私はここで死ぬんだ」と思ったという。と同時に真っ暗闇の脱線車両から救助され、空の青さに驚いた。脱線事故発生から約1時間半。空の色=青色については格別の思いがある。 福田さんは鎖骨などを折る重傷。 木村さんは 自力で車両から抜け出したが、左脚挫滅というけがと向き合うことになる。
芸大生時代、芸術や美を追求するのは当たり前だった。治療で約3週間の入院を経て復学したが、デッサンの授業で絵のモデルを前にすると事故当時の光景が思い出され、人物画が描けなくなったこともあった。「人の姿を、形としてみるのが辛かった。怖かった」しかし空色の会から依頼を受け、2011年から毎年イラストを制作するようになった。そして発想の転換と言うべきか、「人の体を見ることができないのなら、自らがモデルとなろう」と思うようになった。そうすることで気持ちをプラスに向けたかった。
はじめは青空をバックに白い鳥に導かれる少年を描いた。この時、苦しまずに人物を描くことができた。事故前は当たり前にできていたことなのに。やがて少女も現れ、優しさを感じるイラストが続いた。毎年、描くうえで大切にしているのは「客観性」。私ひとりの作品として出すのではない。事故の被害者として、栞の絵を担当しているのだという。自分本位にならないことをモットーにしている。自分の手から離れてしまってから、受け手がどう見るか、決して押し付けちゃいけないんだと言い聞かせている。