松竹芸能のピン芸人・ヒコロヒーさんは大学時代に落研に所属しており、学祭で披露したコントがきっかけで芸人の世界に足を踏み入れました。切れ味鋭いひとりコントを武器に『THE W』、『R-1グランプリ』で準決勝進出。また、ピン芸人・みなみかわさんと組んで『M-1グランプリ』に出場し、芸人社会のジェンダーに切り込む漫才で注目を集めました。
さらに、「タバコ好き・借金がある」という媚びないスタイルも人気の一要素。「芸人の仕事に集中し、売れるために総額500万を借りる」ことを目的にしたYouTubeチャンネル『ヒコロヒーの金借りチャンネル』では、その話術で「金借り」をエンタメに昇華。バラエティ番組やネットラジオなど様々なメディアで活躍するヒコロヒーさんに、芸人になった経緯や現在の生活についてお話を聞きました。
◆「映画の配給やラジオ制作の仕事がしたくて」松竹芸能へ
―――ヒコロヒーさんは、近畿大学に在学中「文化会落語講談研究会(落研)」に所属していました。なぜ落研に入られたのでしょうか?
【ヒコロヒー】「勧誘してくれた人が男前だった」、それだけが落研に入った理由です(笑)。もともと、サークルには入らずバイトを頑張りたいと思っていたタイプだったんですよ。バイトをいっぱいしてお金を稼ごう、みたいな。なのでサークルに入るつもりは本当になかったんですけど、まぁ縁ですよね。その先輩が誘ってくれたから。
―――当時、落研ではどんな活動をしていたんですか?
【ヒコロヒー】年に2回くらい発表会みたいなことをしていました。それをしないと大学から予算をもらえないので。それぞれ自分が覚えた落語を披露するんですけど、みんな適当でしたね。いわゆる「ライブ」ではなくて、「寄席」という感じです。出囃子も自分たちで弾かないといけないので、三味線とか太鼓は一通り練習して。活動自体は週に1~2回あるか無いかで、あとはずっと部室で麻雀したり、映画を観たり、漫画を読んだり、喋ったり……。なので、本当に「予算のため」の活動でしたね。その予算で、旅行がてら合宿に行ったりしていました。当時はけっこうちゃらんぽらんな部活だったんで、「芸人になろう」と思っている人はいなかったですね。そんな感じなんで、私も「学生芸人だった」っていう自覚はないんです。
―――確かに、私がイメージしていた「学生芸人」とは違いそうです。最近は学生お笑い出身者が賞レースで結果を出したり、『アメトーーク!』(テレビ朝日)で「大学お笑いサークル芸人」回が放送されたりと、少しずつ「学生芸人」の知名度が上がっているような気がします。
【ヒコロヒー】「名前がついた」って感じなんでしょうね。これまでも学生時代からお笑いに取り組んでいた人はいたけど、そこに「学生芸人」っていう名前がついたことで裾野が広がったのかな、と。そういう感じがします。