「4歳(妹)と14歳(兄)で生きようと思った」1988(昭和63)年、劇場公開されたアニメーションのキャッチコピーである。
作家、故・野坂昭如さん(2015年死去)は神戸大空襲の実体験をもとに、1967(昭和42)年、のちに直木賞を受賞する小説「火垂るの墓」を書いた。阪神間には作中に実在する地名や建物が存在する。終戦から76年経った8月、強い陽射しのもと、蝉の鳴き声が聞こえる中で、その主人公で、飢えに苦しみながら息絶えたきょうだい(兄妹)、「清太」と「節子」の足跡をたどる人が絶えない。
ゆかりの地について学ぶ「火垂るの墓を歩く会」が、4年ぶりに神戸と西宮で開かれた。1999(平成10)年に会が結成され、毎年夏にゆかりの地をめぐる催しを企画してきた。尼崎市立地域研究史料館 の「尼崎市史を読む会」で「子どもたちちとともに戦争を考えられるような機会がほしい」という声が出たことがきっかけで生まれた。
回を重ねる中、2018(平成30)~2019(令和元)年は猛暑による熱中症防止のため、御影公会堂(神戸市東灘区)と夙川公民館(西宮市)で解説講座を開催。 会を立ち上げた尼崎市立歴史博物館・あまがさきアーカイブズ職員の辻川敦さんと元教員で兵庫県立尼崎北高校長も務めた正岡茂明さんが担当。そして昨年(2020年)は新型コロナウイルス感染拡大の中、開催を見送った。今年(2021年)はコロナ感染対策を施しながら、少人数のウォーク企画を実施している。実に4年ぶりとなった。
ウォーク企画は、作品に登場する神戸市東灘区の御影公会堂やモニュメントがある石屋川公園を歩く「御影コース」と、西宮市の火垂るの墓記念碑や空襲で母を失った兄妹がホタルを見たニテコ池などをめぐる「西宮コース」がある。
「節子」は生きていれば今年80歳。1941(昭和16)年、日米開戦の年に生まれた同じ歳。4歳で終戦を迎えた。同じ場所で幼少期を過ごし、同じ思いをした。ただ節子と異なるのは、その後の日本で生きて、今改めて当時の街の面影に触れることができたこと。平和な時代に身を置くありがたさを感じること。そんな女性に出会った。
上村孝子さん(西宮市在住・80)。神戸や西宮は生まれ育った懐かしい土地。当時の空襲の怖さや戦中戦後の辛かったことを思い出しながら神戸・御影の街を歩いた。