登り窯や伝統技術に歴史を感じさせる「丹波焼」 『歴パ!ひょうご地域遺産バトンリレー』(6) | ラジトピ ラジオ関西トピックス

登り窯や伝統技術に歴史を感じさせる「丹波焼」 『歴パ!ひょうご地域遺産バトンリレー』(6)

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 兵庫県には、文化庁が認定した「日本遺産」が9件、国指定史跡のお城が22城あり、いずれも全国最多を誇る。また、1000を超す城跡や播磨国風土記など、個性豊かな地域遺産を数多く有している。そうした兵庫の歴史を学びながら、周辺のおすすめスポットを計15回のシリーズで紹介する。

【第6回】きっと恋する六古窯 ―日本生まれ日本育ちのやきもの産地―

 中世から現代へ連綿と続く代表的焼き物「日本六古窯」。兵庫県丹波篠山市今田町の丹波焼をはじめ、西から岡山県の備前焼、滋賀県の信楽焼、福井県の越前焼、それに愛知県の常滑焼と瀬戸焼の6つを指す。

 丹波焼は地名から立杭焼とも呼ばれ、平安末期から鎌倉時代初めの発祥とされる。桃山時代まで使われた「穴窯」が、江戸時代初めに、自然の傾斜地を利用した朝鮮式半地上の「登り窯」に取って代わった。階段状に幾つもの焼成室が連なる大規模なものとなり、大量生産が可能になった。

 登り窯と同じ頃に取り入れられた伝統技術「足でける轆轤(ろくろ)」を、現在も約60軒の窯元が受け継いでいる。この轆轤は左回転で、日本では沖縄など一部に限られる珍しい方式。一般に、中国から伝わった「手回し式」は右回転で、足でける技術が朝鮮半島から伝わった産地が左回転を継承しているとされている。

登り窯
丹波焼

 丹波焼が発祥したとされるのは、四斗谷川下流域の下立杭周辺の丘陵で、中でも三田市と境界を接する三本峠付近が中心だった。県史跡の「丹波焼古窯跡」は、「源兵衛山古窯跡」とも呼ばれる。窯を構成する床や壁・天井などは、近年の植林などによって天井が崩壊し、今では長さ18.5メートルの窪みの形状が残るだけ。それでも、窯にたまった灰をかき出した場所の「灰原」が広がり、甕や壺のかけらが落ちていて、窯業の歴史で「丹波焼」の実態を知る重要な遺構となっている。

 丹波焼で現存する最古の窯は、発祥の地から2キロほど北に離れた上立杭にあり、「丹波立杭登窯」の名称で、県の重要有形民俗文化財に指定されている。この現存最古の窯は1895(明治28)年、山の勾配を利用し、長さ47メートルにわたって築かれていて、9つの焼成室を持つ。しかし経年劣化が激しかったため、丹波立杭陶磁器協同組合が中心となって2014(平成26)年度から大修復に取り組んだ。修復作業には窯元関係者だけでなく、多くのサポーターらも参加し、2年後、無事修復が完了。郷土愛の結晶とも言えるだろう。

 丹波焼創成期から約700年間に作られた代表作を収蔵する「丹波古陶館」が篠山城下の河原町にあるほか、2005年には「兵庫陶芸美術館」が上立杭に開館。古陶館の「古丹波コレクション」312点と陶芸美術館の館蔵品のうち659点が県の文化財に指定されている。

【参考文献】
・兵庫県公式観光サイトHYOGO!ナビ
・文化庁日本遺産ポータルサイト


【兵庫県公式観光サイトHYOGO!ナビ】
【文化庁日本遺産ポータルサイト】

「歴パ!ひょうご地域遺産バトンリレー」アーカイブ記事


◆『歴パ!ひょうごの地域遺産バトンリレー』 2021年9月18日放送分

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