一本の弦で多彩な音色を響かせる、神戸の「一絃(いちげん)須磨琴保存会」が、 新型コロナウイルスの影響で演奏の機会や稽古の場が大きく減る中、活動と伝承のあり方を模索している。
諸説があり、定かではないが『古今和歌集』の記述によれば平安時代初期、中納言・在原行平卿が文徳天皇の怒りに触れて須磨に流され、蟄居(ちっきょ=謹慎)を余儀なくされた。須磨滞在時に寂しさを紛らわすために、浜辺に流れ着いた木の板に、一本の弦を張るといった単純な構造の琴を作り、弾き始めたのが一絃須磨琴の起こりとされる。
明治以降は西洋音楽に押されて衰微する。太平洋戦争後には、一絃琴を演奏できる人はほとんどいないというような状態になり、いったんは途絶えたが、一弦琴(須磨琴)中興の祖とされる高僧・覚峰が江戸時代末期に作り奉納した須磨琴が、現存する最古のものとして須磨寺の宝物館で見つかったことから、1965(昭和40)年に保存会を発足させた。当時は10人程度のメンバーだったが、後に150人規模へと発展する。
珍しい楽器の復活が話題となり、当時はメディアで大きく取り上げられ、数多くの演奏依頼もあった。その後、1976(昭和51)年に兵庫県重要無形文化財の指定を受け、年間300回近くの演奏会や、地元・神戸の小中学校で部活動や出張授業、琴づくりワークショップなどを通して、若い世代に地域の民族芸能の魅力と、伝統芸能としての可能性を伝えるようになる。
そして1980(昭和55)年、兵庫県内での御前演奏(三木市)で上皇后・美智子さまが皇后時代に聴かれた音色に魅せられ、当時の皇太子殿下(現在の上皇さま)が、後にお誕生日祝いとして須磨琴を贈られたというエピソードもある。一絃須磨琴保存会・小池美代子最高師範にとっても忘れられない思い出であり、「琴は13弦や17弦が一般的といわれる中、たった1本の弦で自分の気持ちを込めて、さまざまな表情を奏でることができ、無限の世界が広がる素晴らしい楽器だ」と語る。