大正10年(1921年)に創業した靴下の老舗メーカー「田中繊維」。長年、国内大手アパレルを中心に上質な靴下のOEM(相手先ブランド名での製造)を続けてきたが、100周年を迎えた昨年は記念事業としてファクトリーブランドを設立、ご当地ゆかりのグライダーをワンポイントデザインした製品を発表し、話題になった。101年目からはブランド第2弾として、介護や医療業界向け靴下を開発中。田中一成常務は「1人でも多くに本物の靴下の奥深さを知ってもらうよう、どしどし発信していきたい」とやる気をみなぎらせている。
――兵庫県の加古川・高砂エリアは、東京、奈良県に並ぶ靴下の日本三大産地として知られる。3地域における靴下産業の現状は。
【田中一成常務(以下、田中常務)】 最も大きいのが奈良で、広陵町を中心に100社以上あるはず。兵庫はその半分ぐらいの規模で、兵庫県靴下工業組合に加盟する50社の大半が加古川市内にある。東京はもう下火になっているので、今は日本の靴下といえば奈良と加古川だと定着している。
――なぜ加古川で靴下産業が栄えたのか。
【田中常務】 江戸時代に姫路藩が綿花栽培を奨励していたこともあって、そもそも繊維産業が受け入れられやすい土地柄だということがあったのではないか。明治初期に志方町の住人が上海から手回しの靴下編立機を持ち帰ったことで一気に広まった。
――田中繊維の成り立ちは。
【田中常務】 周囲と同じく手回しの機械を使い、農家の副業というレベルで靴下を作ったのが始まり。靴下をはく人が増え、高まった需要に対応するため会社組織にしたのが101年前。以降は靴下オンリーでやってきた。大戦景気の後は朝鮮特需が発生し、しばらく輸出をメインとしたが、高度経済成長の波に乗って全て国内向けに切り替えたという歴史がある。現在は、タビオ、ナイガイ、グンゼのOEMが主。バブル期には年間20億円の売上があったが、現在は4億円ほど。コロナで少し落ち込んでいる。
――靴下も海外生産する方が安いはず。
【田中常務】 特に2000年以降は品質より安さを求める国内メーカーが競うように海外に出て行った。結果、国産品の国内シェアはとうとう1割を切ってしまっている。