「祝いや、ネクタイでも買え」やしきたかじんからもらったかなり多い“タクシー代” 高山トモヒロが回想 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「祝いや、ネクタイでも買え」やしきたかじんからもらったかなり多い“タクシー代” 高山トモヒロが回想

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 吉本興業のお笑い芸人「ケツカッチン」の高山トモヒロと慶元まさ美が木曜パーソナリティを務める番組『Clip』(ラジオ関西、月-木午後2時30分~)で、高山がこれまで出会ってきた芸能人とのエピソードを披露するコーナー「高山トモヒロの楽屋ウラジオ」。今回は、タレント・司会者・歌手など幅広く活動していた、やしきたかじんとの思い出について振り返った。

ケツカッチンの高山トモヒロ

 番組司会者や歌手として芸能界の第一線で活躍していた、やしきたかじん。彼が司会をつとめる番組は全てが高視聴率番組で、高山トモヒロは「芸能界ってなかなか右肩上がりとはいかなくて、波はあるもの。でもたかじんさんは、ずっと全盛期のような人だった」と語った。

 芸能界には波がある。その言葉通り、自身にもかつて波があったと高山は振り返る。

「若手の頃、たかじんさんの番組に何度か出演した事があったんです。でも32歳の時に仕事が一気になくなって、既に家庭を持っていたからどうしよう……って思いましたね。妻の実家が食堂を経営してたんだけど、正月に帰省した時『食堂継ぐか?』って冗談半分、本気半分で言われたり。芸能界を辞めたくないけど、このまま自然に仕事が減っていって、いつか『あんな人おったな』って言われるんじゃないかという時期もありました」(高山トモヒロ)

 そんな高山の転機となったのが、やしきたかじんの冠番組である『たかじんONE MAN』(毎日放送)への出演だったそう。

「出演オファーが急に入ってきたんです。ほんまに収録2日前くらい。多分誰かが出演できなくなったから助っ人だったんでしょうね。これはチャンスやと思ったし、当時もう怖いもんなかったんですよ。どうせ消えるなら勝負かけたいなと。若手って大体、フリをもらって(笑いの)ヒットを打ちに行くじゃないですか、でも僕は収録でフリをもらう前から自分でヒットを打ちに行ったんです。シーンとなった時もありましたけど」と、当時の心境を明かす高山。

 そして収録後、高山はやしきたかじんさんの楽屋まであいさつに行き、思い切って「今日、飲みに連れて行ってください」と頼んだと言う。

「勢いで『飲み連れて行ってください!』って言いました。何かつながりが欲しかったんでしょうね。そしたら『じゃあ10時に』って言ってくれて……たかじんさんって飲む時に10分20分でお店移動するって聞いた事ないですか? まさにその伝説通りで、1軒目は1時間くらいいるんですよ。でもたかじんさんが新地本通りとか上通りで飲んでたら(周辺のお店に)話がブワッと広がるから、いろんなとこに顔出さないといけないんですね。だから1軒目が終わってから、お店が終わる夜中1時までの間に5軒6軒回らんと、ってなったら10分20分刻みでお店移動しないといけないんですよ」(高山トモヒロ)

 この飲み会がきっかけとなり、高山はやしきたかじんさんの番組に少しずつ出演するように。いずれも高視聴率番組だったため露出が増え、他のオファーも増えて立て直したと話す高山。「もしあの番組(『たかじんONE MAN』)に出演してなかったら、もしあの時『飲みに連れて行ってください』と言っていなかったら、僕はここに座っていないかもしれない」と、改めて自身の芸能生活を振り返っていた。

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