日本で一番長い商店街といわれている「天神橋筋商店街」(大阪市北区)。日々、地元の方や観光客など多くの人々に親しまれており、にぎわいと活気をみせる商店街です。起源はなんと江戸時代にまでさかのぼり、日本でも有数の歴史を誇ります。長い歴史を持つ天神橋筋商店街には、半世紀以上をこの地で過ごし、商店街の歩んできた変遷(へんせん)を見守ってきた人がいるのだとか。
創業150年を超える老舗和菓子店「薫々堂」の店主であり、天神橋三丁目商店街振興組合で副理事長を務める林喜久さん(57)に、昭和後期の天神橋筋商店街の様子について聞きました。
――昭和後期の天神橋筋商店街は、どのような雰囲気でしたか?
【林さん】 当時は今のような飲食店やスーパーが数多く立ち並ぶ形態ではなく、八百屋や工具店、紳士服などの繊維を扱うお店、日用品を販売しているお店が多かったですね。もちろん、パチンコ店や飲み屋をはじめとした娯楽のお店も充実していました。天神橋筋商店街を端から端まで歩けば、身のまわりの物すべてがそろう。そんな商店街でしたね。一時期は、「なんでもそろう天神橋筋商店街」なんていうキャッチフレーズもあったんです。
――現在と昔の大きな違いは?
【林さん】 昭和のころは「なんでもそろう」といわれていたこともあって、物販店舗が多く並んでおり、店舗の上に住んでいるという人が大半を占めていました。平日はお客さんの多くが大人でしたが、休日になると家族が訪れる、そんな商店街でした。
それから徐々にゲームセンターや飲食店が増えて、若い人たちも一定数訪れるようになりました。現在は昔のような物販店舗は少なくなり、チェーン店や飲食店などが多いです。「地域に密着した商店街」というよりは、「地方からもたくさんのお客さんが来る観光地」という側面が大きいかもしれません。
――商店街が1年で最も盛り上がるのはいつでしょうか?
【林さん】 7月にある天神祭りのときですね。ここ3年は新型コロナウイルスの影響で開催されていないのですが、神輿(みこし)を担(かつ)いで商店街を歩く姿は今も昔も変わりません。