回転するジャングルジムや大勢で乗った箱型のブランコなど、今やめっきり見かけなくなった懐かしの遊具たち。幼いころには毎日遊んでいた公園ですが、実は、時代とともに大きく変化しています。懐かしの遊具やその歴史について、50年以上にわたって遊具を作り続けてきたメーカーに話を聞きました。
―――公園に遊具が設置されたのはいつから?
【丸山さん】 戦後しばらくは、子どもが遊ぶところといえば空き地や路地裏。当然遊具などはなく、限られたスペースを見つけては捨ててあるもので工夫して遊んでいました。
その後、公園が急増するのは1970年代に入ってからのことです。1964年に東京オリンピックが開催されたこともあって日本は経済が急成長している時代で、町の開発や車の普及によって道路の整備などが急激に進んでいました。その結果、空き地や路地裏は子どもたちが安全に遊べる場所ではなくなりました。こうした事情があり、子どもたちが安心して遊べる場所として公園が続々と作られるようになったのです。
公園の数が急増した流れで遊具も設置されるようになり、同じころに私の祖父も遊具の製造を始めました。当時は“モノがない”時代だったため、どの企業も廃材などの安く手に入る材料で工夫を凝らして作っていました。
―――どんな遊具が作られていた?
【丸山さん】 当時は今のような規制がなかったため、さまざまなメーカーが自由に作っていました。そのため、ジャングルジムやブランコ、シーソーなどの定番遊具はもちろんのこと、今では考えられないようなスリリングな遊具もたくさんありました。なかでも、回転ジャングルジムや箱型ブランコ、回旋塔、懸垂シーソーなどは懐かしく思う人も多いのではないでしょうか。しかし残念ながら、2000年代に入り安全面からさまざまな規制ができたことをうけ、これらの遊具は撤去されたため公園で目にすることは少なくなりました。
―――子どもたちはどのように遊んでいた?
◆回転ジャングルジム:中心に軸が通っており、球体のジャングルジムが回転するようになっている
【丸山さん】 ゆっくり回すだけであれば危険もなくのんびりと楽しむことができますが、元気な子どもたちの手にかかるとそうはいきません。高速で回転させて遊ぶというのが主流となって、吹き飛ばされる子が続出しました。
作り手目線でいうと“いかになめらかに速く回るか”が腕の見せどころでもあったため、速さを追求してかなりのスピードで回転するものも多かったようです。学校にも設置されていましたが現在は撤去された場所も多く、“絶滅危惧種”とされている遊具のひとつです。
◆箱型ブランコ:普通のブランコには乗れない小さい子向けに作られた遊具
【丸山さん】 小さな子ども向けに作られたことから、「安全ブランコ」と呼ばれていました。しかし次第に、大きな子どもたちが複数人で乗って勢いよく揺らすようになり、1990年代には支柱との接続部分で指を切断したり、箱部分が直撃する死亡事故が相次ぎました。このことから問題視されるようになり、公園から姿を消していくこととなりました。