昭和レトロブーム真っ只中のいま、昭和のどの家庭にもあった“あの”ジャラジャラが再び注目を集めています。ジャラジャラの正体は「珠のれん」と呼ばれる、木の玉が連なったひも状ののれん。誕生のきっかけや今後の展望について、現在国内で唯一「珠のれん」を製造する株式会社ヒョウトクの代表取締役社長・近田正義さんに話を聞きました。
―――いつ誕生した?
【近田社長】 戦後間もない1950年ごろ、兵庫県小野市で生まれたといわれています。もともと小野市はそろばんが名産で、古くから盛んに作られていました。しかし、戦後さまざまなものが外国から入ってくるなかでそろばんの需要はどんどん下がっていきました。そんなとき、「そろばんに使う木の玉を使ってなにか新しいものを作れないか」という考えから生まれたのが「珠のれん」でした。
―――最盛期は?
【近田社長】 「日本万国博覧会」、通称「大阪万博」が行われた1970年前後が最盛期でした。このころは、どこの家にも珠のれんがかかっていたように思います。当時、私は20代前半で家業を手伝いはじめたばかりだったのですが、毎日残業続きで職人さんのもとに通い詰めていたのを覚えています。
最盛期には月に5000本、金額にして1000万円、年間で1億円以上を売り上げていました。当時、珠のれんを扱う会社は小野市内に20件ほどあり、関連商品も含めると売り上げは年間50億円にものぼり、小野市の一大産業として全国からも注目されていました。
―――なぜそこまで流行った?
【近田社長】 当時の和風建築に見事にマッチしたからだと思います。そのころはわらぶき・かやぶき屋根の家が多く、そういった家屋は基本的に「風通し」を重視した内装になっており、ふすまや障子で区切られていました。布と違って珠のれんは風通しがよいだけでなく、向こう側が透けてみえるという「区切るのに区切りすぎない」という点が、和風建築にもってこいの商品だったんです。特に、台所の入り口につけられることが多かったようです。しかし、1980年代に入って洋風建築が一般的になるにつれて珠のれんも姿を消していきました。
―――現在の生産量は?
【近田社長】 珠のれん自体の需要が減少したためにどんどんメーカーが減り、現在生産しているのは弊社のみとなりました。しかし、最近のレトロブームのおかげで再び人気になってきているんです。職人さんが減った影響もあり現在は月に60本作るのが限界なのですが、ありがたいことに注文をたくさんいただいていて、1か月待ちという状況が続いています。