「なぜプーチン(大統領)の支持率が、ロシア国内で8割を超えるのか。いったい、誰のためのウクライナ軍事侵攻なのか。まるで78年前の日本と同じように思える」。
8月15日、太平洋戦争での敗戦から78年目を迎えた。今年11月に91歳になる照屋盛喜さん(大阪市城東区在住)。数少ない「戦争語り部」として、関西の小中学生に向けて平和の尊さを訴えている。そして、長期化するロシアのウクライナ軍事侵攻を憂いた。
そしてつぶやく。「いつの世も、どこの国でも、だまされるのは一生懸命生きる国民だ。戦争や紛争、悲劇はくりかえされている」。
太平洋戦争の時代、日本での情報源はラジオと新聞だった。
「日本は連戦連勝、伝わるのは“皇軍”という強い軍隊の活躍ぶり。雑音混じりのラジオのニュースから聞こえるのは、そんな都合の良いことばかり。私たちは日本軍の活躍や戦況を、これっぽっちも疑わなかった」。照屋さんは当時、12歳の少年だった。自らを「軍国少年」と称し、「やがてお国のために役に立ちたい」と誓っていた。「末は陸軍大将か大臣か。今考えれば、誠に恥ずかしい考えだったね」。天皇集権のもと、ただただ軍国主義を貫くことが日本の道と信じていた。
終戦前日、1トン爆弾が大阪のターミナル駅の1つ、国鉄京橋駅(大阪市城東区)周辺を襲った。「第8次大阪大空襲」は、1945(昭和45)年8月14日の正午前だった。アメリカ軍のB29爆撃機が、大阪城内にあつまた「大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)」を爆撃した。死者は身元が確認できただけで、200人あまりにのぼり、実際の犠牲者は500人を超えるとされる。