子どもがすり傷をしたときの治療法といえば、なにを思い浮かべますか? 現在は無色透明の消毒液を塗ったり、ばんそうこうを貼ることが一般的ですが、昭和の子どもたちは肌が真っ赤に染まる「赤チン」を塗っていました。「赤チン」について、2020年まで生産を続けていた三栄製薬株式会社の代表取締役・藤森さんに話を聞きました。
―――「赤チン」とはどういうもの?
【藤森さん】 正式名称を「マーキュロクロム液」といい、1919(大正8)年にアメリカで開発され、1939(昭和14)年に日本で初めて殺菌消毒薬として認可され流通するようになりました。それまで日本では「ヨーチン(ヨードチンキ)」という消毒薬が一般的に使われていたことから、「赤いヨーチン」=「赤チン」と呼ばれ親しまれるようになりました。
―――ヨーチンよりも赤チンが受け入れられた理由は?
【藤森さん】 それまで日本中で使われていたヨーチンにはアルコールが入っていて傷口に染みるため、子どもたちはとても嫌がっていたそうです。一方の赤チンはアルコールが入っていないので傷口に染みることがなく、さらに持続性があることから日本中に広まっていきました。
―――どのようなときに使用されていた?
【藤森さん】 用途としては、すり傷などのケガをしたときに使うものでした。しかし当時は「赤チンをつけておけば何でも治る!」と聞いたことがあります。
―――最も売れていた時期は?
【藤森さん】 昭和30年代後半から売り上げがウナギのぼりに上昇し、高度経済成長期真っ只中の昭和40年代ごろがピークでした。弊社でも月に10万本ほど製造していた時期もありました。
当時、赤チンは各家庭の救急箱に入れられていたほか、学校の保健室にも常備されており、「きず薬」といえば「赤チン」というのが当たり前の時代でした。