山と海に面し、自然に囲まれながら街並みも美しい石川県金沢市。新鮮な魚介類、漆や和紙をはじめとする伝統工芸品など魅力がたっぷり。そんな金沢に住む市民たちの間で当たり前のごとく伝わる「若い力」をご存知でしょうか?
この「若い力」とは集団演技のことで、地元民なら誰でも“ピンと来る”といいます。一体どういったものなのか、「若い力プロジェクト」を実施している「公益財団法人 金沢市スポーツ事業団」(所在地:金沢市泉野出町)の中村さんに話を聞きました。
演技は大前提として『若い力』という歌にのせておこなわれます。まずは歌詞から見ていきましょう。
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若い力と感激に
燃えよ若人胸を張れ
歓喜あふれるユニホーム
肩ににひとひら花が散る
花も輝け希望に満ちて
競え青春
強きもの
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非常に力強く、スポーツをすることへの喜びが伝わってくるような歌詞ですね。 こちらは1947年(昭和22)開催の「第2回石川国体」で、“スポーツの歌”として制作されたものなのです。
「終戦後、全国的にスポーツによる復興が活発におこなわれていました。各地でスポーツ復興が盛り上がる一方、『明朗なるスポーツの楽しさ』をテーマにした曲はありませんでした。そこで、国民に元気を与えるようなスポーツの歌を作ろう、ということで制作されたと聞いています」(中村さん)
70年以上にわたって受け継がれている同曲は、『いつでも夢を』や『有楽町で逢いましょう』などを手掛けた佐伯孝夫氏が作詞を担当。全国的に歌われている「国民歌」としても知られており、知名度のある曲が演技とセットで伝わっているのは珍しいそうです。「金沢市スポーツ遺産」にも市のスポーツの歴史を語る上で欠くことのできない.....という理由で登録されており、同市にとっての重要度の高さがうかがえます。
そもそも曲に合わせた「演技」が誕生するきっかけとは何だったのでしょうか? 中村さんいわく、「演技を作った方のインタビューから、当時は戦後ということで食糧事情も悪く子どもたちの体力低下が懸念されていたことが分かります。国体を機に作った歌ではありますが、子どもたちの身体健全のための体操として作ったのではないか.....とも推測しています」とのこと。かつての石川県は「結核患者日本一」という不名誉な事柄で知られた地域だったそう。そのため国体をおこなう目的のひとつが「スポーツイベントを誘致し、実施することで県民の健康増進を図る」であり、それもきっかけと言えそうです。
この『若い力』は市内の小学校で「表現運動(ダンス)」というプログラムとして、5・6年生で習います。さらにすべての市立小学校6年生が集まる「金沢市立小学校連合体育大会」でも、必ず演技を披露するそう。
「市民に『若い力』というワードを出せば、ほぼ全員が分かると思います。あまり覚えてないという人でも、演技の決めポーズにあたる『競え青春』のあたりで“ピン”とくる人も多いはず。曲が流れるだけで身体が反応する.....なんて声もよく聞きます」(中村さん)
基本的に金沢市でおこなわれているという『若い力』ですが、市内の小学校教員が異動し、異動先で児童に教えることでほかの地域でも知っている人がいたり実施されているというケースもあるそうです。
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スポーツの楽しさをテーマにした『若い力』。令和の現代こそ、伝わっていくべき曲と演技かもしれませんね。
(取材・文=つちだ四郎)
◆公益財団法人 金沢市スポーツ事業団/若い力プロジェクト
921-8116
石川県金沢市泉野出町3-8-1
電話番号 076-247-9018
若い力プロジェクト 公式サイト