芸人・千原ジュニアの持つ強みについて、ケツカッチンの高山トモヒロがラジオ番組で語った。また、千原ジュニアと、高山がかつて組んでいたお笑いコンビ「ベイブルース」の相方・河本栄得との尊い関係性についても触れた。
千原ジュニアは、高山の一つ後輩。初めて千原兄弟を見た時の印象について高山は、「ストレートに言うなら、生意気(笑)。でも挨拶はちゃんとしてて、眉間にシワを寄せながら『兄さん、おはようございます』って言ってくれてました」と振り返った。
かつて、その態度や言動の鋭さから“吉本のジャックナイフ”とさえ言われていた千原ジュニアだが、高山は「あれは、アイスピックを叩いて細くしてジャックナイフにした、ってくらい尖ってましたよ。『負けたらアカン』っていう思いからビビッた表情を一切したくないという、彼なりのプライドだったんじゃないでしょうか」と分析した。
さらに高山は、千原ジュニアについて「夜通しお笑いの勉強をしたり、食事のあともずっと大喜利大会をしたり……そういう努力を積み重ねてめきめき力をつけていましたね」とした上で、彼の卓越したセンスについて語った。
高山が明かしたのは、かつて若手の登竜門とされ、ダウンタウンら多くの芸人を輩出した「心斎橋筋2丁目劇場」(1986~99年)でのエピソード。高山はベイブルースとしてMCを担当、千原兄弟はひな壇にいて、高山の「今のテーマでボケられる奴おるか」の呼びかけに出演メンバーが応じる場面での出来事だ。
「ジュニアのボケだけひねりすぎて分からん、っていうことがあったんです。ただ、ものすごい変化球のボケをしたらお客さんがついてこれないから、次は分かってもらえるギリギリを攻める。そのセンスが良いんですよね」(高山)
その後も、ベイブルースと千原兄弟は先輩・後輩として切磋琢磨していたそう。あるとき、若手芸人のトーナメント大会で両者が決勝に進出した際には、こんな場面もあったのだと言う。
「僕たちはキチッとしたネタ、千原兄弟はコンクール向きというか、戦いに向いてないネタをしたんですよ。千原ジュニアが暴れまくって小道具を壊しまくって、笑えるような仕掛けはちゃんとあったんですけどね。それで結果、優勝は僕たちベイブルースだったんですけど……」(高山)
ベイブルースは、優勝を手放しで喜んだわけではなかった。
「相方の河本が『勝ったけど、インパクトだけで言えば千原兄弟の方が強い。勝ったのに負けたみたいなもんや』って怒ってて。それだけ相方も千原兄弟を意識してたんだろうなと思いますね」(高山)
そして1994年、河本は病でこの世を去った。共に研鑽を積んだ芸人の訃報に触れて千原ジュニアが口にした言葉が、高山の胸に強く、深く響いたという。