《大阪教育大附属・池田小児童殺傷事件23年》「“安全の意識”というバトン、手渡す」命、守る側に | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《大阪教育大附属・池田小児童殺傷事件23年》「“安全の意識”というバトン、手渡す」命、守る側に

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 大阪教育大学附属・池田小学校(大阪府池田市)で児童8人が死亡、15人が重軽傷を負った事件から23年となった8日、「学校安全の日」として追悼式典が営まれた。池田小学校では事件を教訓に2009年から「安全科」という授業を設け、命を守る教育を続けている。

大阪教育大学附属池田小学校「祈りと誓いの集い」<2024年6月8日 午前10時39分撮影 大阪府池田市>

 今年も6年生3学級で「命の大切さ」を考える授業があり、その様子が報道陣にも公開された。

 授業では「周りの人たちを幸せにすることの大切さ、寄り添いができる人に」との思いで、学校の安全を伝える大切さを取り上げた。

 男子児童の1人は、「いつか“守られる側”から命を“守る側”になりたい」と決意を新たにした。

2009年から続く「安全科」の授業
「命を守られる側から守る側に」安全科の授業で誓う <2024年6月8日午前>※画像の一部を加工しています

 続く追悼式典には遺族のほか、全校児童600人や教員、来賓ら約770人が出席した。事件の発生時刻、10時12分にあわせ、亡くなった児童の名前が刻まれたモニュメント「祈りと誓いの塔」の8つの鐘を鳴らし、参列者は1分間の黙祷をささげた。
 児童代表の1人は「自分たちが受け取った『安全の意識』というバトンを手渡すことが使命だ」と誓った。

 事件当時6年生の担任で、いったん池田小を離れ、2020年に3度目の赴任となった眞田巧(さなだ・たくみ)校長(56)は、「事件から 23 年がたち、事件当時の学校関係者も年齢を重ね、学校現場から退く世代になりつつある。この事件以後、世の中の学校安全に対する意識が変わり、様々な取り組みが行われ、子供たちを守る取り組みは大きく前進しているが、残念ながら、学校や児童が襲われる事件、事故は、後を絶たない。事件当時を知る世代として懸念するのは、時の経過とともに本校の事件が風化し、多くの悲しみと後悔のもとに、受け継がれてきた学校安全の取組が形骸化してしまうことだ」とコメントした。

「祈りと誓いの集い」で風化と学校安全の取り組みの形骸化について懸念する眞田校長
眞田校長は、当時を「知っている」「知らない」で線引きするのではなく、時代の変化に対応し「守る側、支える側」の人間を育てることが重要と話す

《大阪教育大付属池田小学校・児童殺傷事件》
2001年6月8日午前10時12分ごろ、包丁2本を隠し持った宅間守・元死刑囚が、学校東側の門から校内に侵入。校舎1階の教室や廊下で児童らを次々に襲い、2年の女子児童7人と1年の男子児童1人が死亡、児童13人と教諭2人が重軽傷を負った。元死刑囚は現行犯逮捕された。一審・大阪地裁で2003年、死刑判決が言い渡され、控訴を取り下げ刑が確定した(2004年9月死刑執行時・40歳)。国や学校はその後、学校の安全管理の不十分さを謝罪、事件を機に全国で学校の安全を見直す動きが広がった。

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