兵庫県芦屋市の高島崚輔(※)市長が、このほど、ラジオ関西の生放送に出演し、阪神・淡路大震災から30年の節目について「震災を知らない市長だからこそ、知らない世代にどう伝えていくか、一緒になって考えられる。震災を自分ごとにするきっかけを作っていきたい」と語った。
![1997年生まれの芦屋市・高島崚輔市長「阪神淡路大震災を知らない市長だからこそ、どう伝えていくか一緒に考える」](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2025/01/IMG_9099-1024x607.jpg)
芦屋市は、兵庫県の阪神間、都市部の中にあって、六甲山や大阪湾、芦屋川など、自然環境に恵まれた街。日本で唯一の『国際文化住宅都市』だ。高島市長は「自然が残る住宅街というところが魅力。(市の北部)奥池エリアは国立公園で、市街地から(車で)10分。国立公園の中に住むこともできる。南へ行けば海まで10分。川に行けばホタルがいる。こういう住環境が残っていて、大阪まで電車で15分、神戸まで10分という環境は、なかなか(他には)ない」と話した。その上で「この自然環境を市民がみんなで守っているところに価値がある」と胸を張った。
![芦屋市を流れる芦屋川 山の緑を背景に四季折々の表情を見せる(画像提供:芦屋市)](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2025/01/DSC_05422-1024x683.jpg)
高島市長は1997年生まれ。2023年の芦屋市長選挙で、現行の公職選挙法において最年少の26歳2カ月で初当選した。1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災は生まれる2年前で「素直にいうと、震災は歴史のできごとだった」。2011年3月11日の東日本大震災は中学2年生の時。「高校1年の夏に東北を訪れた際、同世代の人たちがふるさとのためにいろんなことをやっていて、高校生でもできるんだと強く感じた。その後も東北に通ううちに、1.17が自分ごとに感じられるようになった」と振り返った。
![「東日本大震災の被災地に通ううちに、1.17が自分ごとに感じられるようになった」と語る、芦屋市・高島市長(ラジオ関西スタジオにて)](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2025/01/IMG_9092-1024x566.jpg)
阪神・淡路大震災では、芦屋市も大きな被害を受けた。震災から30年の節目を迎え「芦屋は市民の方々の努力があり、悲しみを抱えながら前に進んできたからこそ、素晴らしい街になっていると思う。この歩みをどう繋いでいくかが大事。震災を知らない市長だからこそ、震災を知らない世代にどう伝えていくのかを一緒になって考えられる」と力を込めた。
震災30年の事業として、甲南女子大学の学生と震災特別番組『つなぐ、伝える』を共同制作。地元ケーブルテレビや芦屋市のYouTubeチャンネルで放映した。高島市長は「同世代の人たちが取材をして思いを発信することで興味をもってもらい、自分ごとになるきっかけを増やせたら」と、その意義を語った。
![阪神・淡路大震災30年事業 特別番組「つなぐ、伝える」タイトル画像(画像提供:芦屋市)](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2025/01/11%E6%9C%88%E5%89%8D%E5%8D%8A%E5%8F%B7_main-1024x576.jpg)
![芦屋市広報番組「あしやトライアングル」1月後半号サムネイル画像(画像提供:芦屋市)](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2025/01/1%E6%9C%88%E5%BE%8C%E5%8D%8A%E5%8F%B7-1024x576.jpg)
芦屋市は、阪神間で高齢化率が一番高い自治体。2020年の合計特殊出生率は1.31で、県や全国の平均を下回る。「大きな会社や工場が立地する自治体ではないので、人口減少がダイレクトに響く。今、このタイミングだからこそ、20年後、30年後を見据えて、どうやって投資できるか、筋肉質な組織、市に変えていけるかが大事」と力を込めた。
こうした課題がある中、「芦屋市民は地元が好きな人が多い」と話す高島市長。市長就任からの2年間を振り返り「嬉しかったのは、市民の皆さんが自ら動く例が多かったこと。ある地域では、まちのビジョンについて市民とお店の方々がまず話し合って、役所がルールづくりなどのサポートをしている。そんなふうに、市民が前に出る、まさに市民が主役になって活躍する、そんな芦屋を作っていきたい」と締めくくった。
※「高」は、はしごだか
※ラジオ関西『三上公也の朝は恋人』2025年1月23日放送回より