スマホもSNSもなかった昭和の時代、1970年代から80年代の若者たちは、どこでどんな風に出会い、恋愛を楽しんでいたのでしょうか? 恋人たちの出会いやデートの様子や連絡手段など、現在とは大きく異なる「昭和の恋愛事情」について、仲人として28年のキャリアを持ち、およそ2700組のカップルを成婚に導いてきた恋愛と結婚のプロ「株式会社お見合い塾」代表の山田由美子さんに聞きました。
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▼出会いのきっかけは「ディスコ&ナンパ」
「友達同士でディスコに繰り出して、お互いに声を掛け合って一緒に踊るんです。関西なら、梅田やミナミの繁華街で、男性グループが女性たちに声をかけるなんてことも日常茶飯事でした。当時は、いわゆる“グループ交際”が流行していて、ディスコやナンパから意気投合して盛り上がれば、その後4~6人くらいのグループになってみんなで遊びに出かけたり、グループ内でカップルが何組もできたりすることもありました」(山田さん)
現在のようにマッチングアプリやSNSがなかった時代、若者たちの出会いの場のきっかけの多くは、ディスコや街でのナンパ、そして文通だったといいます。
山田さんによると、当時のナンパのハードルは現在よりもかなり低め。まずは友人として一緒に遊ぶ中で自然と距離が縮まり、そこから恋愛に発展するケースも多かったそうです。また、男性は車を持っていることがステータスでもあったといいます。ディスコもナンパも、車で乗り付けることが当たり前の時代。なかでも、トヨタから発売されていた「クラウン ロイヤルサルーン」のような高級車は、乗っているだけで女性にモテるといわれていたほどだったとか。

▼昭和にも流行!? 雑誌巻末の「元祖マッチングアプリ」
現代の若者の恋愛の必須アイテムになりつつある、SNSやマッチングアプリにも通じる「全く知らない人と交流する場」は、この時代からすでに登場し、大いに盛り上がっていたといいます。
「当時、雑誌の後ろの方には大体『文通コーナー』がありました。自分の名前や年齢・住所・趣味やどんな人と知り合いたいかを書いて、文通する相手を募集するんです。気になる相手がいればその住所に手紙を送って、なんでもないやりとりを何年も続けたり二人のタイミングで実際に会ってみる。そこから交際に発展する人も珍しくありませんでした」(山田さん)
山田さんによると、この「文通コーナー」でも乗っている車の車種やドライブに連れて行ける旨などを書いてアピールする男性が多かったそうです。
