社会人経由、大学の通信制で研鑽→“保健室の先生”になる夢実現へ 働きながら学び続けた思い | ラジトピ ラジオ関西トピックス

社会人経由、大学の通信制で研鑽→“保健室の先生”になる夢実現へ 働きながら学び続けた思い

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 一度は現実的な道を選び、高校や専門学校から社会人として歩みを進めながら、そこで命の大切さを痛感。大学の通信制の門を叩き、働きながら学びを進め、“保健室の先生”=養護教諭になるという夢を実現させようという若者がいます。これまでの経験、今後への思いなど、話を聞きました。

 賀来(かく)りかさんと、田路(とうじ)由季さん。2人とも、姫路大学教育学部こども未来学科通信教育課程の4年生です。このたび大学を卒業し、今春から養護教諭として勤務することが決まっています。

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「緊急時に動くことができる養護教諭、保健室の先生になりたかった」という、賀来さん。中学時代は様々なプレッシャーから一時は不登校も経験。それでも、学校に行けるようになったとき、「保健室ですごくお世話になった」ことで、“保健室の先生”への憧れを抱き始めたといいます。

 ただし、母子家庭だったことや、高校時代に感じた「保健室の先生は学校にひとりしかいないから、たとえば誰かが倒れましたとか、最悪の場合も考えたとき、そこでたぶん私は何もできないし、怖い」という思いから、「資格や知識、経験があれば、自分も強くなれるかな」と考え、まずは看護師になることを決断。看護系の専門学校で学び、看護師として働き始めます。

看護師時代の賀来りかさん

 病院ではがん病棟の担当だったという賀来さん。若くして末期がんとなった患者らやその家族のサポートをするなど、日々、「命と向き合ってきた」。コロナ禍では、面会制限のため、「今しかしゃべれない、あと数日でしゃべれなくなってしまう……」という患者の家族にも「1日15分しか会えないと伝えなければいけない」状況なども経験。「なんで、まだしゃべれるというときに、私らはそれを止めなきゃいけないんだろうと、すごく葛藤していた」。看護師としての重責は想像以上のものだったと振り返ります。

 そういった経験を糧に、コツコツと資金を貯め、自らの学費を捻出。「若ければ若いほど頭は働くかと思ったので、このタイミングだった」と、通信制の大学で養護教諭になるための学びをスタート。仕事と学業の両立というハードな日々も、モチベーションを保って研鑽を積み、このたび、養護教諭免許を取得。大学卒業を経て、今春から私立高校での勤務が決まりました。

賀来りかさん

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 同じく、母子家庭で育ち、中学時代の先生の勧めで、看護師の道を志したという、田路さん。兵庫県下に2校だけという、看護専攻科のある高校で看護師になるための一貫教育を受けます。

 当初、看護科に進むきっかけになったのは、「新しい学校だったのと、制服がかわいかったから」だそうですが、ともに学び続けた友人の存在、実習で患者から言われた「ありがとう」の言葉で、徐々に看護師の魅力に気づき、学業を全う。看護師資格を取得し、社会人として一歩を踏み出してからも、周囲から「天職やな!」と言われるなど、“白衣の天使”としての日々も充実していたといいます。

看護師時代の田路由季さん

 ただし、実際に働き始めてから「命の大切さを伝えたい」という気持ちとともに、「自分のキャリアアップのためにも、25歳になるまでに挑戦したいと思った」と、田路さん。幼い頃の夢で、一度はあきらめていた小学校の先生になるという思いが再燃。そのチャレンジのきっかけとなったのは、コロナ禍でのニュースでした。

「自宅待機の時間が増えた分、児童虐待が増えたという話しを聞いて。いや、もう『このままじゃあかん!』と思って。と」

 感染症病棟で多くの命の場面を経験していく中、命の大切さを子どもたちにつないでいきたいと考えつつも、「社会人として自分の生活もあり、勉強だけに専念するのは難しいと考え、通信で養護教諭のとれる大学として、働きながら資格がとれる姫路大学を選んだ」。

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