《JR福知山線脱線事故20年》「帰れなかった」悲しみを栞に 『空色の栞』あの日の空、思い浮かべて | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《JR福知山線脱線事故20年》「帰れなかった」悲しみを栞に 『空色の栞』あの日の空、思い浮かべて

LINEで送る

この記事の写真を見る(15枚)

 乗客106人が犠牲となったJR福知山線脱線事故(兵庫県尼崎市)から4月25日で20年。

 負傷者とその家族でつくる「空色の会」は、事故当日の晴れ渡った青い空を忘れないとの思いから名付けられ、事故から4年後の2009年に活動を始めた。メンバーそれぞれが、1枚1枚に空の色を表す2種類のブルーのリボンを通した。

 空色は、事故当日の晴れ渡った青い空を忘れないとの思いから名付けた。負傷者らでつくる「空色の会」が、事故の4年後の2009年に始めた。
 メンバーそれぞれが、1枚1枚に空の色を表す2種類のブルーのリボンを通す。

 栞のデザインは1両目で重傷を負った福田裕子さん(兵庫県西宮市)が手掛ける。

 事故当時は大阪芸術大3年。日本画を専攻していた福田さんは、福知山線に乗ってキャンパスへ通う途中だった。あの日、快速電車は異常なまでに速度を上げて行く。今まで感じたことながなかった「異変」。


 スピードが違う。速すぎる。

「空色の栞」にリボンをつける福田裕子さん(右)と木村仁美さん〈2025年4月5日 兵庫県川西市〉

 一緒に快速電車乗り合わせた高校時代からの友人・木村仁美さん(兵庫県宝塚市)が話す。 「何かが違うよね。速くない?」。
 事故が起きたのは、この言葉を交わした直後だった。

LINEで送る

関連記事