乗客106人が犠牲となったJR福知山線脱線事故(兵庫県尼崎市)から4月25日で20年。

負傷者とその家族でつくる「空色の会」は、事故当日の晴れ渡った青い空を忘れないとの思いから名付けられ、事故から4年後の2009年に活動を始めた。メンバーそれぞれが、1枚1枚に空の色を表す2種類のブルーのリボンを通した。


空色は、事故当日の晴れ渡った青い空を忘れないとの思いから名付けた。負傷者らでつくる「空色の会」が、事故の4年後の2009年に始めた。
メンバーそれぞれが、1枚1枚に空の色を表す2種類のブルーのリボンを通す。
栞のデザインは1両目で重傷を負った福田裕子さん(兵庫県西宮市)が手掛ける。

事故当時は大阪芸術大3年。日本画を専攻していた福田さんは、福知山線に乗ってキャンパスへ通う途中だった。あの日、快速電車は異常なまでに速度を上げて行く。今まで感じたことながなかった「異変」。
スピードが違う。速すぎる。

一緒に快速電車乗り合わせた高校時代からの友人・木村仁美さん(兵庫県宝塚市)が話す。 「何かが違うよね。速くない?」。
事故が起きたのは、この言葉を交わした直後だった。



