阪神タイガース、新庄剛志、メジャーリーグ、侍ジャパン。名だたる選手たちのそばでトレーナーを務めてきた熊原稔さんが、プロのトレーナーとしての道のりや現場でのリアルな経験を語りました。

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熊原さんは、1992年に阪神タイガースのトレーナーとしてプロ野球の世界に入り、その後、新庄剛志選手のパーソナルトレーナーとして渡米。2010年からは東北楽天ゴールデンイーグルスのコンディショニングディレクターとしてチームを支え、2013年にはWBC・侍ジャパン日本代表のトレーナーとしても帯同。長年にわたり、日本とアメリカ両方の現場で選手たちのコンディションを支えてきました。
そのキャリアの始まりは、何も知らないところからのスタートだったといいます。「プロ野球のトレーナーになりたい」と決心し、当時まだ一般的ではなかった“スポーツトレーナー”という職業に就くべく12球団すべてに電話をかけたといいます。
熊原さんはそのとき初めて「君、資格持ってる?」と聞かれ、鍼灸や柔道整復師の免許が必要だと知ります。そこから勉強を始め、プロトレーナーの登竜門ともいえる治療院で修行。その一歩を踏み出したことが、結果として道を切り拓くことになりました。

阪神タイガースのトレーナーになったきっかけも、自ら電話をかけてつかんだものでした。
「阪神ファンだったんで、阪神のトレーナーになりたかったんです。学校の卒業生に阪神にいる先輩がいたんで、面識なかったけど電話して『会ってください』って。それで甲子園球場の食堂に連れて行ってもらって話をして、『じゃあお前、春のキャンプ来い』って言われて、そこから始まりました」(熊原さん)
熊原さんが阪神のトレーナーとしてチームに加わったのは1992年。当時の監督は中村勝広氏で、その後も藤田平氏・吉田義男氏・野村克也氏といった名将たちと共にチームを支え続けました。




