兵庫県姫路市が生んだ世界的ファッションデザイナー、高田賢三(1939~2020年)の作品と生涯をたどる展覧会「高田賢三展 パリに燃ゆ、永遠の革命児」が姫路市立美術館(同市)で開かれている。没後初の大規模な回顧展で、1970~90年代のKENZOブランドの衣装約100点のほか、遺愛の品や居住していたパリの家の模型などが並ぶ。

高田は1939年、姫路市生まれ。姫路城や同美術館近くの生家で、五男二女の三男として育った。コンクールで市長賞をもらうなど子どものころから絵の才能を発揮したものの、美大や洋裁学校への進学は叶わず、神戸市外国語大学に入学。その後、東京の文化服装学院が男子にも門戸を開いたことを知り、大学を中退して同学院に入った。同級生に松田光弘(ファッションブランド「ニコル」創設者)、コシノジュンコ、金子功(「ピンクハウス」同)らがおり、後年「花の9期生」と呼ばれた。
最初の展示室「プロローグ」では、高田が新人デザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞した作品(1960年)や新装した宝塚大劇場のこけら落とし公演での舞台衣装(1993年)などを紹介。同公演のため高田は約100種類、600点もの衣装を手掛けた。その熱意の背景には、終戦直後の小学生時代、姫路市公会堂(当時)で見た華やかな宝塚歌劇の記憶があったという。「一般的な服と違って、舞台衣装は大衆受けや着やすさを考える必要がなかったため、高田はデザイナーとしての表現追求に集中できた。そのこだわりようは出演者のメイクや髪色にもおよび、高田は直接全員に指示していた」(姫路市立美術館の学芸統括担当・吉中充代さん)。


メイン展示室では1970年代、80年代、90年代の代表作をマネキンが着用、ファッションショーのようなきらびやかな空間が広がる。日本の布を使ったものや、ヨーロッパ伝統のオートクチュール(高級既製服)に対抗した「アンチクチュール」、たっぷりと布地を使って大柄のシルエットにした「ビッグ・ルック」など、高田の真骨頂ともいえる70年代ファッションは今見てもあか抜けた印象。一方、各国の民族衣装からインスピレーションを受けて作られたという80年代のコスチュームは、ビビッドで多彩な色、異なる柄を重ねたコーディネートなど、見る者に強烈なインパクトを与える。衣服を通じてボーダーレス、ジェンダーレスを表現したという、作り手の心意気が立ち上ってくるようだ。







