「プレーンヨーグルト」は1970年の大阪万博で日本に広まった? ブルガリアの味を再現した企業とは | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「プレーンヨーグルト」は1970年の大阪万博で日本に広まった? ブルガリアの味を再現した企業とは

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 10月13日まで開催される「大阪・関西万博」では、158の国と地域・7つの国際機関が参加。各国や企業のパビリオン(展示館)を巡り、世界の文化や歴史を知ることができます。今回は参加国のひとつ、ブルガリア共和国にフォーカスしました。

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 地中海と黒海に面したバルカン半島に位置するブルガリア。刺繍が華やかな伝統衣装の「リザ」や「スクマーン」、毎年6月ごろにおこなわれる「バラ祭り」などで知られますが、やはり日本人にとっては「ヨーグルト」が馴染み深いのではないでしょうか? 

 同国においてヨーグルトは国民食として浸透しており、そのまま食べるだけでなく、スープやドレッシング・スイーツの材料など食卓に欠かせないアイテムです。大阪・関西万博でも、ブルガリアの発酵菌である「ラクトバチルス・ブルガリクス」をモチーフにしたキャラクター“ラクトちゃん”が登場するなど、国にとって欠かせない存在ということがうかがえます。

ブルガリア料理「ラタトール」。きゅうりとヨーグルトの冷たいスープ(イメージ)

 そんなヨーグルトですが、日本では1970年に開催された「大阪万博」を機に広く愛されるようになったことをご存知でしょうか。今でこそスーパーやコンビニに多種多様なヨーグルトが並びますが、それまでは「甘いデザートタイプ」が中心でした。

 そんななか、食品メーカーの株式会社 明治(本社:東京都中央区)の社員が万博のブルガリア館で本場のヨーグルトを口にします。1970年当時は甘くないヨーグルト、いわゆる「プレーンヨーグルト」は存在していませんでした。際立つ強い酸味に驚いた同社の社員が「この味を再現したい」という思いを抱いたことがきっかけとなり、同社の定番商品「明治ブルガリアヨーグルト」の前身が誕生したのです。

1970年の「大阪万博」の舞台となった大阪府吹田市(イメージ)

 発売当時は「明治プレーンヨーグルト」という名称で販売されていましたが、なんとしても国名を冠したかったそう。ですが、自国の文化を重んじるブルガリアは「ヨーグルトは民族の心」という思いから許可しませんでした。そこから社員が何度も同国の大使館を訪ね、品質や製造体制などを説明し熱意を伝えたことでようやく許可を得ることができました。現在の「明治ブルガリアヨーグルト」という商品名の背景には、こうした努力があったのです。

 さて、筆者が気になるのは「本場の味をどのように再現しているのか」ということ。同社の広報担当者によると、「本場・ブルガリアから乳酸菌を輸入しており、同社独自の製造技術によって、なめらかさやコク・ミルク感・のどごしを再現しています」とのこと。

今や日本でもすっかり浸透したヨーグルト(イメージ)

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 大阪・関西万博のブルガリア館では、パビリオン内レストランで現地のヨーグルトはもちろん、ヨーグルトを使ったドリンクやフードが楽しめるそう。日本におけるヨーグルト観をがらりと変えるきっかけとなった1970年の大阪万博に思いを馳せつつ、本場の味に触れてみるといいかもしれませんね。

大阪・関西万博のブルガリアパビリオン

(取材・文=つちだ四郎)

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