北野異人館エリアのシンボル「風見鶏の館」 誕生から大震災、そして“これから”の歩み【兵庫・神戸】 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

北野異人館エリアのシンボル「風見鶏の館」 誕生から大震災、そして“これから”の歩み【兵庫・神戸】

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 兵庫県神戸市にある北野異人館街。「ラインの館」「萌黄の館」などが立ち並ぶ中、シンボル的存在となっているのが「風見鶏の館(旧トーマス住宅)」。れんが張りの外観と尖塔の上に立つ風見鶏が特徴的な佇まいを見せるこの建物は国の重要文化財にも指定されています。同館についてのアレコレを株式会社日比谷花壇の広報・イベント担当者に話を聞きました。

風見鶏の館(旧トーマス住宅)(画像提供:風見鶏の館)

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 風見鶏の館が誕生したのは、1909年ごろ。ドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマス氏が自邸として建設しました。当時の神戸・北野は雑居地だったということも関係し、この地に建てることを決断したそうです。設計に携わったのは、明治30年代後半から大正初期にかけて日本で活躍したドイツ人建築家、ゲオルグ・デ・ラランデ。他の異人館とは異なる、重厚的な雰囲気を放つ建物に仕上げました。

 館の裏には、“家に幸運を呼び込むためのおまじない”のようなものと考えられている家屋銘文も。日本語訳すると「私の家は私の世界。気にいった方はどうぞお入りください」という意味の言葉が、ドイツ語で書かれています。ここには、「家と仕事の繁栄に関する願い」が込められていたのではと推測されているのだとか。

風見鶏の館の裏に記されている家屋銘文(画像提供:風見鶏の館)

 しかし、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で大きな被害を受けることとなりました。担当者は、当時の状況について「全壊とまではいかないものの、外壁れんが154個所に亀裂が確認され、煙突2本が根元から折れてしまい、内1本が地面に落下するといった事案が発生しました」と振り返ります。

 では、どのようにして現在のような美しい姿に復旧させたのでしょうか。担当者によると「今後、同程度の地震にも耐えられるようにステンレス線を用いてれんがをネットに結束させるなどの技術が取り入れられました。さらに、外壁に使用していた一部のれんがは被害を受けていない綺麗な面を表にし、積み上げ直しました」とのこと。様々な工夫が結集したことで、同館は復活を遂げることができたのです。

応接間(画像提供:風見鶏の館)

 2023年10月1日からは、さらなる耐震工事を行うため長期休館していた当施設ですが、ことし7月18日から館内公開を再開しており8月末までで約2万人近くが訪れています。この反響について担当者は「観光案内所のボランティアから休館していることを知った観光客がとても残念がっているという話も聞いていました。無事に再オープンすることができ、『楽しみにしていました!』という声が多方面から届いています」と話しました。

北野天満神社から見た風見鶏の館(画像提供:風見鶏の館)

 当施設を含む北野異人館街を「歴史的建造物が立ち並ぶ文化都市として盛り上げたい」と考える担当者。最後に「見どころは沢山あるのですが、当時ここで生活していた人々の魅力的なストーリーを、ぜひ実際に訪れて体感してもらえればと思います」とメッセージを残しました。

(取材・文=長塚花佳)

※ラジオ関西『Clip』水曜日 2025年9月24日放送回より

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